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2008年12月31日 (水)

今年も日本時間であと1時間になりました。

5月30日に帰国するまでは皆さんの温かい声援のおかげでたくさんの困難にもめげずに旅を続けることができました。
そして帰国してからの7か月。日本でもたくさんの困難が待ち構えていました。
でも旅行中に培った不屈の精神と何とかなるさというアバウトさによって乗り越えてきました。

新しい旅立ちがどのように進んでいるのかはまた年明けに日記を通してお伝えして行きたいと思います。

今年1年本当にありがとうございました。
そして来年は自分にとって更なる大きなチャレンジの年になりそうです。これからもどうか是非是非よろしくお願いいたします。
それではよいお年をお迎え下さい。
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2008年6月18日 (水)

北米編1 カナダ、そしてついに帰国

18930km/130121km ボゴタ-リマ(ペルー)-トロント(41カ国、地域目 カナダ)-バンクーバー-成田

S_america ボゴタから飛行機に乗って再びペルーのリマにやってきました。ここから帰国の為の飛行機に乗るのです。
010_002919 リマでは知人宅にまた泊めさせてもらい前回おいしかった手巻き寿司をまた作りました。海外で最後に食べる和食、やはりうまい!!


020_rimg1001 そしてリマからまた飛行機に乗って中米、メキシコ、アメリカ合衆国を飛び越えて一気にカナダのトロントにやってきました。アメリカ合衆国には過去に来たことがあったので今回是非カナダにやって来たかったんです。

025_rimg1091 040_rimg1088 トロントは大都会。やはり先進国の都会は違いますね。街がきれいに整備されているし交差点では車が停まってくれます。




050_rimg1087 こちらはトロントのランドマーク CNタワーです。ほっそりと美しい形をしています。





そしてトロントから車に乗ってドライブに出かけました。世界3大瀑布のひとつナイアガラの滝を見るためです。ナイアガラとは先住民の言葉で雷鳴が轟く水という意味だそうです。

100_rimg1068_2
110_rimg1049_2 120_rimg1055 130_rimg1058 140_rimg1059 近くに寄るとその名の通りゴーっと凄まじい音をたてて水が流れ落ちていきます。水量が多くまたすぐに目の前で見られるので迫力満点です。

150_rimg1064 160_rimg1065 170_rimg1070 そしてしばらくするとライトアップが始まりました。赤や黄色に照らされた滝肌はまた違った美しさがありました。

180_163911 190_rimg1096 こうしてあっという間のトロント滞在が終わりました。
そのトロントからバンクーバーを経由してついに2年振りに日本に帰ってきました。
成田に降り立った時にはまだ実感が湧きませんでしたが、電車から外に見える田植えの風景を見たら”ああ、本当に帰ってきたんだなぁ”と実感しました。

さて最後は何だかあっけない終わりですが今後何回かにわけてこの2年間の旅を振り返ってみたいと思います。また日記の更新は続くのでまた来てくださいね。

いつもこのブログを見てくれてありがとうございます。これからもブログはバリバリと続けていこうと思うのでよろしくお願いします。

2008年6月11日 (水)

中南米編44 アマゾン経由でコロンビアへ

3130km/111191km サンタエレナ-ボア・ビスタ-マナウス-タバティンガ-レティシア(コロンビア)-ボゴタ

ロライマ山からサンタエレナに帰って来た時には靴ずれとビーチサンダルの疲れで足はもうボロボロになっていました。しかしロライマに行く前にこの町に長居をしてしまったのでその日のうちにまたバスを乗り継いで翌朝マナウスまで戻ってきました。

010133016_2 020133611 マナウスで2日休養をとりそこから飛行機で更にアマゾンの奥地にあるタバティンガに向かいました。飛行機から見た空港の周りはこのように鬱蒼をしたジャングルでした。

タバティンガからタクシーに乗ってすぐ隣りにあるコロンビアのレティシアと言う町に来ました。この2国間はフェンスも何もなく市民は自由に行き来できるんです。でもブラジル側と比べてコロンビア側の方が店が多く、きれいで、品物もたくさんある感じでした。隣同志なのにこんなに違うんだと不思議な気持ちです。

S_america_2 さてこのレティシアからコロンビアの国内線に乗って夕方には首都ボゴタに到着しました。コロンビアはまだゲリラが活発で南米でも相当危険な国だと聞いていたのでまたまた緊張して空港から出ました。しかし宿に向かう途中に車から見た景色はとても整備されてきれいな町並みでした。

宿は旧市街にあってその周りにはたくさんの店がありました。宿の人もとても親切だったのですが、そればかりか道行く人も気軽にあいさつしてくれるのです。今まで南米のいくつかの国を周ってきてここコロンビアの人達が一番友好的な印象を持ちました。
また市内にはトランスミレニオと呼ばれる新交通システムがありました。バスを専用車線上に走らせて乗り降りは数ブロック毎に道路上に作られた駅で行います。地下鉄に比べたら工事費用が格段に安いでしょうし路線もたくさんあって便利な乗り物です。ただ一般車両はそのために渋滞に巻き込まれることが以前より多くなってしまったようです。こんな感じです。
http://www.estfukyu.jp/estdb6.html
またもしバスを電気バスやハイブリッドにしたらもっと地球に優しくなるのになって思いました。それでも快適でしたよ。

110150550 120150646 さてバスを乗り継いでボゴタ近郊のシバキラと言う町にやってきました。きれいな町並みです。そしてここには塩でできた教会があるのです。ここは元々は岩塩の採掘場だったそうでその地下にある岩塩を削って広大な教会を作ったそうです。
130154202_2 140161253_2180164618 170163555 150161535_2 160162914_2 190170337 さっそくトンネルに入っていくと真っ暗な地下は青い照明を上手く使って幻想的な世界を作り上げていました。美しかった~~。


210142732 宿の部屋にいる時大きな音楽が聞こえてきました。何かと思って窓から見ると鼓笛隊のパレードでした。しかし、ここボゴタは山に囲まれているため天気がころころと変わります。この数分後に大雨になってしまいみんなあわてて雨宿りしていました。



220163646 またコロンビアにもアンデスの先住民がいてこのように街角で演奏していました。いいですねぇ、あの音色。聞いていると眼頭が熱くなってくるんです。

それではコロンビアの食べ物を紹介します。
310112100 320231750 まずこちらではスープをよく飲みます。肉や魚などいろんなバリエーションがあって薄味でとってもおいしいです。


330155957 そしてこれが典型的な昼食。米や野菜もたっぷりで強い香辛料も使っていないので食べやすいです。これにスープとジュースがセットで300円とうれしい値段です。

340231117 コロンビアのビール、一番人気はコステーニャ。苦味が結構あって自分好みです。85円と安いのもいいね~。

2008年6月 5日 (木)

中南米編43 2年 帰国決定 そして2度目のハプニング

2008年5月18日に日本を出発してこの旅は始まりました。
あれから丸2年、実にいろんなことがありました。

最近になって日本がとても恋しくなってきたんです。
おいしいご飯も食べたいし温泉にも入りたい。もちろん仕事だってしなくてはなりません。

今回正直なところまだ心残りはあります。
でもこの続きは次回の為にとっておくことにしよう。
よし!帰ろう!

と言う訳でこの旅に終止符を打ち帰国することにしました。

さて帰国の日も決定してこの旅もあと少しという段階になって久しぶりにハプニングが起きてしまいました。
空港へ移動するタクシーの中にディバッグを置き忘れてしまったのです。
降りてからすぐに気がついてタクシーを追いかけましたが既に走り去ったあとでした。
そして2度と見つかることはありませんでした。

バッグの中にはパソコン、デジカメなどが入っていました。
今回パスポートは自分で肌身離さず持っていたのでこのまま旅を続けることはできます。
ただ最近撮った写真がなくなってしまったのでしばらくは写真なしの日記になっちゃいます。
何てアホなことをしてしまったんだろうと無茶苦茶くやしい思いでしたが、それでも身体は無事でこのまままた旅を続けられることに感謝しないといけないと思うことにしました。

それではあと数回の日記、最後までお付き合いくださいね。

2008年5月21日 (水)

中南米編42 原始の大地

227km/108061km サンタエレナ-パライテプイ-リオ・トック-ベースキャンプ-ロライマ山-ホテル・サンフランシスコ-(40カ国、地域目 ガイアナ)-ホテル・コアティ-ホテル・サンフランシスコ-リオ・トック-パライテプイ-サンタエレナ

今回ブラジルから国境を越えてベネズエラのギアナ高地にやってきた理由、それはここにあるロライマ山に登るためです。

ここで少しギアナ高地について説明をしたいと思います。
大昔、地球にはパンゲアという1つの超大陸が存在していた。それが2億5000万年前頃から分裂し始めゴンドワナ大陸、南アフリカ大陸へと分裂していった。このギアナ高地はその分裂の際の回転軸の地にあった。だから移動することなくこの熱帯地方で気候変動の影響も受けずに太古の昔の姿を止めているのだ。

その姿とはいったいどういう物なのか?それを自分の目で見るためにこのロライマ山に登ってみることにしました。

010s_america 4月23日にここサンタエレナに到着しました。そしてさっそくロライマへのトレッキングツァーを探し始めました。すると驚いたことに”今はロライマには登れないよ。例年は整備の為に1週間だけ閉山になるんだけど今年は今月1ヶ月間閉山なんだ。”だそうなんです。さーて困った。いろんな人に話をきいてもどうやら本当のようです。
あきらめて帰るか、それともここにあと1週間踏みとどまるか。自分は今までやるかやらないか迷った時にはできる限りやることにしてきました。やらないで後悔するよりもやって後悔する方が自分らしいと思うからです。そこで今回もやることに決めました。

020p1060630 ロライマ山は変わった形をしています。テプイ、又はテーブルマウンテンと呼ばれるこの山はその通り頂上がテーブルのように平たくなっているんです。山を上から見たのがこの図です。赤い線がロライマ山です。頂上の面積は250Km2、東京23区の半分にもなります。最高地点の標高は2723mです。この山は3国の境界にもなっています。この黒い線がその境界です。上がガイアナ、右の小さい部分がブラジル、そして下がベネズエラです。実際にはこの山の上に検問所がある訳ではないので自由に行き来できます。そしてこの山の北端部分は"The Prow"(船首)と呼ばれています。ここからの眺めがまた格別だというので是非ここをゴールにしたいと思いました。

この町にはツァー会社が何軒かあってどこでも5月初めから5泊6日のトレッキングツァーの募集をしていました。話を聞いてみると6日間のツァーではこの北端まで行くのは無理なようです。そこで人を集めて7泊8日のプライベートツァーを組むことにしました。いろいろと探して何とか5人集まって5月1日の出発が決まりました。
この図で黄色い線が今回トレッキングで行ったルートです。当日更に3人参加者が増えて8人となりました。

110img_0084 115p1060645 5月1日 サンタエレナを出て車で2時間程でロライマ登山の拠点となるパライテプイの村に着きました。いよいよトレッキング開始です。そこから山道を歩き始めました。それほどきつい道ではないのでハイキングの感覚です。出発時には晴れていたのですが途中でものすごい雨が降ってきてカッパを着ていたものの靴はもう中まで水浸しです。4時間程歩いて今日の目的地リオ・トックと言うキャンプ地に到着です。本当はこの次のキャンプ地まで行きたかったのですがこの先にある川が今日の川で増水して渡れないらしいので今日はここに宿泊です。夕方になるとテントの回りでポワッポワッと何か光りはじめました。ホタルです。無数のホタルが飛び交う姿は幻想的でした。標高1050m。

117p1060653 120img_0106 5月2日 今日は4時間かけてロライマの麓にあるベースキャンプまで歩きました。ロライマをいつも正面に見ながら歩くので少しずつ近づいて来るロライマに期待が膨らみます。標高1870m。

5月3日 今日は今回のトレッキングで一番きついロライマ登山の日です。朝7時に出発してまずはロライマの山肌まで。

210p1060670 そこからは”壁”と呼ばれるがけをよじ登るようにして少しずつ登っていきました。滝の下をずぶ濡れになりながら通り過ぎたりハチどりの出迎えを受けて元気づけられたりしながら4時間程で山の上までたどり着きました。

2203 230img_0181 240img_0183 250img_0283 ここは標高2700mです。さて上に来た途端に風景が一変していました。何億年も前に作られた地形、人間が後から造ったんではないかと思われるような遺跡のような岩山、歩いていると不思議な感覚に囚われました。今日はホテル・サンフランシスコに宿泊です。とは言っても人間の住む世界にあるホテルなどはあるはずもありません。岩山の洞穴で雨風が凌げる場所をこの辺りの先住民達はホテルと呼んでいるのです。テントでの生活は太陽と一緒です。朝は日の出と共に起きて夜は日の入り後間もなく寝ます。大昔の生活はきっとこんなんだったんでしょうね。いや大昔どころかつい数百年前までこうだったんですよね。

310img_0165 5月4日 朝早く起きて外に出るといい天気。今日は頂上の平面を北上します。後から参加してきた3人は6日間なのでここでお別れして参加者5人、ガイド、ポーターの7人で進みます。頂上を歩いているとここが2700メートルの山の頂上という感じがしません。平面と言っても多少の起伏はありまた時には岩をいくつもよじ登って進みます。ここでは岩の形、はえている草花を見るとそれは今まで見てきた地上のそれとは明らかに違います。

315p1060682 クリスタルバレーにやってきました。ここはもう一面水晶で覆われていてキラキラ輝いています。もちろんこの水晶を持ち出すことは禁止です。

320img_0191 そしてここがトリプルポイントと呼ばれる3国の国境地点です。国境の碑があるだけですがこの山が3国の国境にまたがっていることの証です。ここで今回の旅の40カ国、地域目に当たるガイアナに入りました。

330img_0215 今日のテントはホテル・コアティと呼ばれる洞穴に張りました。昨日も夜はかなり冷えて寒かったのですがここは東側から冷たい風が吹き込んで夕方からぐっと気温が下がりました。テントの中で寝袋にくるまって寝ても寒くて夜中に目が覚めてしまって眠れませんでした。

410img_0154 415img_0155 418img_0197 ここでロライマで見た動植物を紹介します。見たことのない花やコケがたくさんありました。

420p1060677 これは食べられる草。このように葉を引っこ抜いてその根本を食べます。アロエのようなねばねばした食感でかすかな甘みがありました。

430img_0233 440img_0236 これらは食虫植物、厳しい自然の中で生き延びています。

450p1060675 動物はまずこの黒いカエル、天敵がいないせいでしょうか、ピョンピョン跳ぶことはしないでペタペタとのんびり這っていました。後で調べてみるとこのカエルは恐竜時代からの生き残りとされる原始的なカエル”オレオフリネラ”だそうです。
その他に数種の鳥、大きなトンボ、小さなクワガタ虫、とかげ、ゲンゴロウ、ちょうちょなどがいました。

5月5日 あいにく朝から雨。北端部分の"The Prow"(船首)に行くことを目標としていましたが、この天気では足場が悪く景色も何も見えないというのであきらめることにしました。
1人で洞穴から外を眺めていました。雨音以外には何も聞こえない静かな空間。その雨が止んでからもずっと見ていたらふと遠くで音がするのに気がつきました。ジーっと言うせみの鳴き声に似た高い音。それともうひとつ低音でウワウワと波打つ音が聞こえました。その二つの音が時々同じ波長になってまるでハーモニーを奏でているかのようでした。それをじっと聞いているとなんだか不思議な気持ちになってきました。自分が遠い昔に生きていた別の生物であるかのような、、、
5101 その時です。目の前の岩山に突然虹が現れたのです。急いでシャッターを切りました。かすかに写る虹が見えますか?

520img_0199 それから晴れてきたので下界が見渡せるビューポイントに行ってみました。そこからの景色は正に絶景でした。

5月6日 今日は昨日やってきたルートを南下していきました。
610img_0217 ここでトラブル発生。一昨年ヒマラヤに行った時にも履いていた靴が泥沼にはまった時に底が剥がれてしまったのです。元々登山用の靴ではなかったのによく今まで持ちこたえてくれました。でも下山まではこの靴しかありません。紐でぐるぐる巻きにして何とか歩けるようにしました。
サンフランシスコまで戻って来てその近くを散策しました。

620img_0226 6254 ジャグジーと呼ばれる美しい渓流やテプイの一部を見渡せる素晴らしい景色を楽しみました。

630img_0245 3人できれいな空を背景に記念撮影をしてみました。

7101 5月7、8日 朝焼けが素晴らしくきれいでした。

720img_0292 いよいよ下山の日です。滑りそうになりながらまた急な斜面を降りていきました。やっとのことで山を下り降りた途端に靴は修復不可能になってしまいました。そこからは持ってきたビーチサンダルで歩きました。3日かけてやってきた道を2日で帰りました。

725img_0339 ガイドが作ってくれた食事はこんな感じです。全て町から運んで作ってくれた食事、どんなご馳走にも負けずとてもおいしかったです。

730img_0347 また山の上では自分のした大便も持ち帰らなくてはなりませんでした。このようにビニールに入れてバッグに下げて持ち帰りました。
村に帰り着いた時には痛いのを通り越して足の感覚がなくなっていました。

あっと言う間の8日間でした。苦労はたくさんありましたがそれだけに感動もひとしおでした。今はゆっくりと身体を休めたいです。人によってはヘリコプターをチャーターして登るのだそうですができることであれば自力で登ってこの大いなる自然との対話を楽しんでもらいたいです。
いつも思うのですが、やはりロライマにも感謝をしたいです。ありがとう。

2008年5月16日 (金)

中南米編41 アマゾンからベネズエラへ

3300km/107834km バヘリーニャス-サンルイス-ベレン-マナウス-ボア・ビスタ-サンタエレナ(39カ国、地域目 ベネズエラ)-サンフランシスコ-サンタエレナ

バヘリーニャスからバスでサンルイスに戻り、そこから更に夜行バスでベレンに行きました。そしてベレンから飛行機で一気にアマゾンの中心地マナウスに到着です。
010p1060585 アマゾンがあるアマゾナス州の観光キャンペーンではこのようなおしゃれなポスターを貼っていました。

020p1060603 マナウスの川岸からアマゾン川を望むとでかい!まるで海のようです。

025p1060604 マナウスに昔からある魚市場。現在は修復中です。

030p1060596 土産物屋の彼女は自らこういう格好を。これがアマゾンらしいってことですかね。

110p1060589 名前を忘れてしまったのですがここではよく食べられる木の実。中身はマカダミアナッツのように白くて味も似ていました。

115rimg0911 120p1060591_2 130p1060602  またこちらではアマゾン川で捕れるいろんな魚を食べます。唐揚げでもスープ仕立てでもおいしかった~。

140p1060593 これはアサーイ。椰子の木の一種から採れる実の表面の部分を粉にしたものです。ポリフェノールが豊富でブラジルどころか日本でも最近人気だそうです。味はあまりなくちょっと青臭いですが健康になれそうな感じがします。

210s_america_2 さてマナウスからまたまた夜行バスに乗って国境を越えてベネズエラの国境の町サンタエレナまでやってきました。

220p1060626_2 いつもはたくさんの旅行者で賑わっているはずなのですがなぜかとても静かです。小さい町のせいなのか道行く人達はみんなこちらを珍しそうにみています。そして気軽にあいさつをしてくれます。ブラジルは南米で唯一スペイン語ではなくてポルトガル語の国でした。おはようは”ボンジーヤ”と言いました。でも国境を越えた途端にまた”ブエノスディアス”に戻りました。見た目は人々の区別ができないのに言葉とか通貨が変わる。不思議な感じがしました。地球を国ごとに分けるのにはいろんな意味があると思いますが、南米は民族単位で分かれている訳ではないのでその歴史をたどると興味深いかもしれません。

310p1060613 ここはビールが1本70円という驚くべき安さ。暑さも手伝ってグビグビと飲んじゃいました。

320p1060620 2301_2 ここから北の一帯はカナイマ国立公園になっていて広大な草原が続くグラン・サバナを形成しています。ちなみにこれはその名を冠したカナイマラム酒。そのあちこちにはこのような滝が流れて独特の景観を作り出しています。世界一の落差を誇るエンジェルの滝もこの一画にあります。これからここでまたある挑戦をします。

2008年5月10日 (土)

中南米編40 純白の砂漠

1930km/104534km サルバドール-テレジーナ-サンルイス-バヘリーニャス-レンソイス・マラニャンセス国立公園-バヘリーニャス-バッソーラス-マンダカル-カブレ-バヘリーニャス

ご無沙汰しています。ベネズエラから今朝帰ってきました。その様子は近いうちに更新させてもらいます。まずは前回の続きからです。

010s_america サルバドールからバスで27時間かけてサンルイスまでやって来ました。

020p1060404 この街はブラジルで唯一フランス人によって作られたそうです。綿花や砂糖キビのプランテーションで財を成した人々は立派な家を建ててその外壁を美しいタイルで飾ったんでそうです。それでこの街にはこのようにタイルが貼られた美しい建物が並んでいるんです。

030p1060413 街の外観と合わせるかのように信号機までタイルで飾られていました。

050p1060418 レストランの前では可愛い人形が飾られていました。

さて翌日そこから更に車で4時間かけてバヘリーニャスと言う小さな町に到着です。そこからレンソイス・マラニャンセス国立公園に行きました。

110p1060494 この名前はポルトガル語で”マラニョン(この地方の名前)のシーツ”という意味だそうでその通り真っ白なシーツを広げたような砂漠が広がっていました。

120p1060463_2 130p1060468 150p1060487 1551 あいにくの雨模様で眩しいほどの白ではありませんでしたが美しい砂漠のあちこちに雨期だけできるという大きな池がありそのコントラストは目を見張るものがありました。
その池で泳いでみました。すると驚いたことに雨期だけできるこの池に無数の魚が泳いでいるのです。聞いた話だとこの魚は乾期の間は砂に埋もれてずっと生き続けているそうです。そして雨期になって池ができると泳ぎだしてそこで繁殖するんだそうです。何というたくましい生命力でしょうか。
160p1060489 また池のほとりではトンボがちょうど羽化していました。こんな砂漠の中でもいろんな生き物が暮らしているんですね。

210p1060582 220p1060504 230p1060507 240p1060516 250p1060530 260p1060540 そしてまた翌日、今度はボートに乗ってこの砂漠を流れるプレグイシャス川をずっと下ることにしました。途中でいくつかの村に寄ってたくさんの動物や村人の出迎えを受けました。ボートで一緒だったジルというカナダ人がポルトガル語を話したので地元の人との会話もばっちりです。

310p1060555 320p1060558 最後に河口にあるカブレと言う村に来ました。そして海に向かって散歩をしていたんです。すると向こうからちょうど今捕れたばかりの魚を天秤棒で担いだ人達が歩いて来たんです。ジルの口利きでその村のおばちゃんがその魚を料理してくれることになりました。

330p1060561 350p1060579 360p1060580 その村の人達がまた素朴ないい人達でその前に寄った観光客慣れしたマンダカルの人達とは対照的でした。カメラを向けるとみんないい笑顔を見せてくれました。やはり言葉を話してコミュニケーションできるのは旅をより楽しくさせるというのを実感しました。おばちゃんが作ってくれた捕れたての魚の煮込みは絶品。今回のバヘリーニャスでの滞在で一番の収穫となったのでした。さてここから更に北へ向かいます。

2008年4月24日 (木)

中南米編39 ブラジルの古都サルバドール

1210km/102604km リオ・デジャネイロ-サルバドール

005s_america リオ・デジャネイロからサルバドールへやって来ました。バスか飛行機かどちらにするか考えました。ネットや旅行代理店を回った結果安い飛行機チケットならバスも飛行機も値段はほとんど変わらないことが解りました。バスは30時間、飛行機なら2時間です。それで今回は飛行機で移動することにしました。

サルバドールは1763年にリオ・デジャネイロに首都が移るまで約200年間ブラジル最初の首都だったそうです。16世紀にはサトウキビ栽培の人手確保のためにアフリカからたくさんの黒人奴隷が連れてこられたそうなんです。そして現在も人口270万人の80%が黒人とその混血だそうです。

010p1060267 安チケの為夜の21時過ぎに出発して到着が23時半でした。にもかかわらず到着ロビーに出るとこのようなこの地方独特の民族衣装を着た女性が歓迎してくれました。これはうれしいサービスです。空港を出た途端ムワッとした空気に包まれました。リオよりもかなり気温も湿度も高い感じです。

030p1060293 060p1060297  翌日さっそく街の中を歩いてみました。確かに黒人の数が多いんです。と言うよりもほとんどが黒人です。そのせいか街の雰囲気も今までの街とは大分違っていてアフリカに来たかのようです。古い建物はきれいに塗り替えられていてかわいい町並みです。

040p1060274 歩いている途中で気になる店がありました。骨董品屋のようなガラクタ屋のようなおもしろい店でした。店先の猫が出迎えてくれました。

070p1060270 ここは海の目の前。そこで魚市場に行ってみました。中ではエビ、伊勢エビ、タコ、サヨリ、イカ、アサリなどいろんな新鮮な魚介類を売っていました。

110p1060306_2 120p1060309 さてビーチに行ってみました。ここではまだまだ夏。たくさんの人が休暇を楽しんでいました。青い海とヤシの木は絵になりますね。

230p1060323 240p1060329 250p1060342_2 260p1060353 この街では黒人によってもたらされた習慣や音楽で溢れています。それを紹介するショーを観にいきました。カンドンブレと呼ばれる黒人密教の儀式では様々な神が登場します。

263p1060294 266 これはビリンバウと言う楽器。この地方の独特の物です。昔黒人は武器を持つことも格闘技を習うこともを許されていませんでした。そこで主人に見つからないように見た目は踊っているかのように見える格闘技が広まったのです。それをカポエラと言います。そのカポエラの練習もこの楽器を奏でながら行います。見た目は本当に踊っているようです。

270p1060362 通りでは太鼓を持った少年達が街を行進していました。その心地よいリズムに合わせてみんな踊っています。自分もついつい身体が動いて一緒に踊っていました。

280p1060371 そして各クラブではサンバ、レゲエなどいろんな音楽に合わせてたくさんの人が夜遅くまで踊りまくっていました。音楽に包まれたこの街、自分は大好きです。

治安が悪いと言われるブラジルでも特に注意が必要なサルバドール。自分が滞在中も同じ宿に泊まっていた日本人2人組が日曜日の朝、通りを歩いていて2人組の強盗に襲われました。ナイフを持っていてカバンを奪われそうになったのです。幸い被害はなく犯人の1人も捕まったそうです。しかしその犯人が10才と7才位の少年だったということで2重にショックを受けました。皆さんもブラジルに旅行される際は気をつけてください。もちろんそれ以外の国でもです。自分もこれから更に用心しつつ旅を続けたいと思います。

さてここでお知らせです。
現在ベネズエラにいるのですがここから山登りに参加する予定です。またしばらく日記の更新ができませんがまた帰ってきてから更新するので少しの間お待ちください。

2008年4月20日 (日)

中南米編38 もうひとつの大都市リオ・デジャネイロ

400km/101394km サンパウロ-リオ・デジャネイロ

005s_america サンパウロからバスに乗って7時間、ブラジル第2の都市リオ・デジャネイロにやってきました。
リオ・デジャネイロは1960年にブラジリアに首都が移されるまで約200年間ブラジルの首都だった所でもあります。
人口700万人のこの大都市はカーニバル、コパカバーナやイパネマなどのビーチ、そしてボサノバの発祥の地など様々な顔を持っています。

まずはビーチへ。
010p1060216 ”コパカバーナ”や”イパネマの娘”は日本でもお馴染みの曲ですよね。その舞台になったビーチが目の前に広がっていました。

ただ時期的にはもう夏も終わりで天気も曇りがちで海の水も入っていられない程冷たかったです。

020p1060211_2 それでも”名物”Tバックはたくさん見られました。

030p1060213 またビーチのあちこちで砂の芸術を競い合っていました。

110p1060221 そしてリオ・デジャネイロにはもうひとつの名物があります。昨年インターネットで選ばれた新世界の7不思議にも選ばれた高台に立つキリストの像です。コルコバードの丘に立つその像を見に行きました。

120p1060228  130p1060246_2 高さ30m、重さ1トン以上と言う巨大な像です。奈良の大仏が15m位なのでちょうどその2倍の高さということになります。
丘を見上げる湖の畔からもその像ははっきりと見えました。

140p1060258 そして700mの丘を登って頂上に立つと、、、
でかい!さすがにすごい迫力で目の前に立ちはだかります。自分はキリスト教徒ではありませんがそれでもこのスケールの大きい像を見ていると拝みたくなってしまいます。

150p1060255 その像の背中の部分は中が礼拝堂になっていました。今日も信者がお祈りを捧げていました。

160p1060253 またこの丘から見る下界の景色が何ともすばらしかったです。遠くに見える海岸がコパカバーナのビーチです。

170p1060226 途中の乗り換え場所には変わった風貌の猿がいました。まるで頭を角刈りにしたかのようなヘアースタイル。思わず吹き出してしまいました。

さてほんの短いリオ・デジャネイロでの滞在でしたがここから更に北上を続けます。

2008年4月13日 (日)

中南米編37 日本移民草分けの地

1080km/100994km フォス・ド・イグアス-サンパウロ-サントス-サンパウロ

005s_america イグアスの滝から夜行バスに乗って17時間、南米最大の都市サンパウロにやってきました。今回の移動でこの旅始まって以来10万キロを突破しました。地球を2周半したことになります。随分長い距離を移動したものです。でもまだこれからも続きます。

010p1060117 バスの中で偶然日系2世の方とお会いしました。前田さんとおっしゃりご両親は高知県出身だそうです。日本語は簡単な会話なら大丈夫です。奥さんはこちらの方だそうで奥さんや3人の子供さん達は日本語をほとんど話さないんだそうです。ですからご本人もだんだん日本語を忘れてしまっているそうです。とは言え67才とは思えぬ元気さで道案内をして下さいました。どうもありがとうございました。15年前に渡日して高知の親戚の人達と会ったことは忘れられない思い出だそうです。前田さんと話をするうちに日本人の移民がブラジルにどのように渡り、またその後どういう運命をたどって現在の生活を営んでいるのかを知りたくなりました。

サンパウロ、人口1500万人、この1世紀弱で人口が10倍に膨れあがったそうです。地下鉄も3路線ありブラジルの国民総生産の実に50%はここで生まれるそうです。今やブラジルのいや南米の経済、文化の中心と言える大都市です。
このサンパウロに今年100周年を迎えた日本からの移民の深い歴史が刻まれています。

現在ブラジルに住む日系人は130万人で全人口の1%弱を占めるそうです。そのほとんどがこのサンパウロ周辺に住んでいるのです。
ここには出身地毎に47全都道府県の県人会があるんです。どれだけ多いかが想像できますよね。
110p1060132 リベルダージ地区と呼ばれる東洋人街(昔は日本人街と呼ばれていたが近年中国人、韓国人が増えたのでこう呼ばれるようになったそうだ。)にはこのように提灯の街灯が灯されその中心部にある大阪橋には大きな鳥居がかかっています。

120p1060133 130p1060126 140p1060129 145p1060139 150p1060120 160p1060131 170p1060138  中心街を歩くともうびっくり。寺、本屋、布団屋、電器屋、着物屋、食堂、ラーメン屋、スーパーなどが所狭しと並んでいるんです。スーパーに入って更にびっくり。食器、台所用品などの家庭用品、文房具、それに味噌、しょう油、ブラジル産日本酒、納豆、豆腐、漬け物、刺身用の魚、白菜やごぼうなど日本と同じ野菜、米、うどん、高野豆腐など乾物、冷凍食品、お菓子、それに弁当や総菜などなどもうまるで日本の大きなスーパーが丸ごと引っ越してきた感じです。買い物しているのも日系人が多いので本当に自分は日本に帰ってきたのだという錯覚に陥ってしまうほどです。ここが世界一大きな日本人街だというのもうなずけます。

180p1060194 190p1060197200p1060198  また週末になると駅の周辺にたくさんの屋台が並びます。その中に”南米神宮”の出店があってお守りまで売っているんです。今川焼きやたこ焼きまでありました。

210p1060163 ある日このお弁当を買ってサンパウロから75キロ離れたサントスと言う港町に行きました。
そこは100年前に日本から初めての移民781人を乗せた笠戸丸が上陸した場所です。丘の上に登ると港が一望できます。100年前どんな思いでこの地に降り立っただろうと思いを馳せながらおいしい日本食弁当をいただきました。

220p1060174 これは日系移民上陸記念碑。サントスの海岸に10年前の90周年記念に建てられたそうです。そこには”この大地に夢を”と大きく書かれていました。このように大きな夢を持って日本からやってきたんでしょうね。

310p1060190 320p1060192_2 さて当時サントスに上陸した移民の方達はこのような移民列車に乗ってサンパウロにあるこの移民収容所にやって来ました。ここは現在移民博物館として公開されています。世界各国からやって来た移民の歴史が紹介されています。

330p1060159_2 340p1060184 350p1060186 その中には笠戸丸でやって来た最初の方達の写真や当時の生活ぶりが紹介されていました。また移民データベースがあって名前ややってきた船で検索できるようになっていました。

リベルダージ地区にも博物館があります。ブラジル日系移民史料館です。こちらはその名の通り日本人の移民の歴史、そして現在をいろんな角度から展示していていてとても興味深いです。
写真は撮れませんでしたがその内容を要約してみます。

1908年から太平洋戦争が始まるまでの30年余りの間に20万人近くの日本人がブラジルに渡りました。最初の頃は言葉も解らず気候、食べ物も違う場所でただ働くばかりという奴隷と同様の暮らしだったそうです。移民の父上塚周平氏の有名な句があります。”夕ざれや 木陰に泣いて コーヒーもぎ” じーんとする句ですね。
こういう苦労を重ねながらも彼らは歯を食いしばってがんばり次第に自営開拓農を始めていろんな作物や家畜、それに養蚕、野菜、果物、い草などを次々と成功させていきました。そして商工業にも進出して活躍の場を広げていったのです。
こうした矢先の1935年ブラジルでナショナリズムが起き日本語を含む外国語の教育が禁止されてしまったのです。そしてそれに続き太平洋戦争の勃発。これによってブラジルの移民は孤立してしまうこととなったのです。
彼らは移民当初は自分達のことを在伯邦人と呼んでいました。いつかは一旗揚げて日本に凱旋帰国する、そんな思いがあったに違いありません。
ところがこうした状況からその夢は断念せざるを得なくなってきました。2世や3世も生まれ育ってだんだんとこの地で生きていこうという思いに変わってきたのです。その頃から自分達を日系ブラジル人と呼ぶようになったのです。
また遠ざかっていた祖国日本との交流が再び活発になった出来事があったのです。それは1949年、古橋広之進をはじめとする日本水泳チームが全米選手権で4種目において世界新記録で優勝したことです。その翌年にはチームがブラジルを訪れて熱烈歓迎を受けたそうです。これは余談ですがこの時古橋広之進はアメーバ赤痢にかかってしまい、その後遺症で52年のヘルシンキ・オリンピックでは不振に終わってしまったらしいんです。これはブラジルでの生活がそれだけ大変だというひとつの証拠にもなります。
1953年からは移住が再開され新移民として更に6万人がブラジルに渡りました。
それからは個人だけでなく日本企業も次々にブラジルに進出していきました。
その後1980年代には今度はブラジルから日系人が日本に働きに来るという逆転現象も起きて現在に至っています。

360p1060202 またこの史料館に勤めている日系2世の土居正さんにいろんな話を伺いました。
日系移民の意識も時代と共に変わってきたそうです。言葉も通じなかった1世の方達は日本人同士が助け合う為に県人会などの組織を作っていたそうです。しかし2世になると学校では日本語を習わないので(習わせる家もあるそうです)次第に日本に対する祖国と言う意識は薄れていくようです。その代わりにブラジル社会により深くとけ込み実業家や政治家なども出てきているのです。

移民の歴史としてはハワイに遅れること50年、アメリカ本土やペルーよりも後発でした。
最初の移民がブラジルの土を踏んでから100年。先代の苦労を足がかりにして着実にブラジルに根を下ろしている日系人。
今年は皇室の方をお迎えして記念行事が行われる予定だそうでみんな楽しみにしているようです。
これからも海外で日本人として、いや日系人として永く活躍していってほしいと思わずにはいられませんでした。

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