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2008年4月の5件の記事

2008年4月24日 (木)

中南米編39 ブラジルの古都サルバドール

1210km/102604km リオ・デジャネイロ-サルバドール

005s_america リオ・デジャネイロからサルバドールへやって来ました。バスか飛行機かどちらにするか考えました。ネットや旅行代理店を回った結果安い飛行機チケットならバスも飛行機も値段はほとんど変わらないことが解りました。バスは30時間、飛行機なら2時間です。それで今回は飛行機で移動することにしました。

サルバドールは1763年にリオ・デジャネイロに首都が移るまで約200年間ブラジル最初の首都だったそうです。16世紀にはサトウキビ栽培の人手確保のためにアフリカからたくさんの黒人奴隷が連れてこられたそうなんです。そして現在も人口270万人の80%が黒人とその混血だそうです。

010p1060267 安チケの為夜の21時過ぎに出発して到着が23時半でした。にもかかわらず到着ロビーに出るとこのようなこの地方独特の民族衣装を着た女性が歓迎してくれました。これはうれしいサービスです。空港を出た途端ムワッとした空気に包まれました。リオよりもかなり気温も湿度も高い感じです。

030p1060293 060p1060297  翌日さっそく街の中を歩いてみました。確かに黒人の数が多いんです。と言うよりもほとんどが黒人です。そのせいか街の雰囲気も今までの街とは大分違っていてアフリカに来たかのようです。古い建物はきれいに塗り替えられていてかわいい町並みです。

040p1060274 歩いている途中で気になる店がありました。骨董品屋のようなガラクタ屋のようなおもしろい店でした。店先の猫が出迎えてくれました。

070p1060270 ここは海の目の前。そこで魚市場に行ってみました。中ではエビ、伊勢エビ、タコ、サヨリ、イカ、アサリなどいろんな新鮮な魚介類を売っていました。

110p1060306_2 120p1060309 さてビーチに行ってみました。ここではまだまだ夏。たくさんの人が休暇を楽しんでいました。青い海とヤシの木は絵になりますね。

230p1060323 240p1060329 250p1060342_2 260p1060353 この街では黒人によってもたらされた習慣や音楽で溢れています。それを紹介するショーを観にいきました。カンドンブレと呼ばれる黒人密教の儀式では様々な神が登場します。

263p1060294 266 これはビリンバウと言う楽器。この地方の独特の物です。昔黒人は武器を持つことも格闘技を習うこともを許されていませんでした。そこで主人に見つからないように見た目は踊っているかのように見える格闘技が広まったのです。それをカポエラと言います。そのカポエラの練習もこの楽器を奏でながら行います。見た目は本当に踊っているようです。

270p1060362 通りでは太鼓を持った少年達が街を行進していました。その心地よいリズムに合わせてみんな踊っています。自分もついつい身体が動いて一緒に踊っていました。

280p1060371 そして各クラブではサンバ、レゲエなどいろんな音楽に合わせてたくさんの人が夜遅くまで踊りまくっていました。音楽に包まれたこの街、自分は大好きです。

治安が悪いと言われるブラジルでも特に注意が必要なサルバドール。自分が滞在中も同じ宿に泊まっていた日本人2人組が日曜日の朝、通りを歩いていて2人組の強盗に襲われました。ナイフを持っていてカバンを奪われそうになったのです。幸い被害はなく犯人の1人も捕まったそうです。しかしその犯人が10才と7才位の少年だったということで2重にショックを受けました。皆さんもブラジルに旅行される際は気をつけてください。もちろんそれ以外の国でもです。自分もこれから更に用心しつつ旅を続けたいと思います。

さてここでお知らせです。
現在ベネズエラにいるのですがここから山登りに参加する予定です。またしばらく日記の更新ができませんがまた帰ってきてから更新するので少しの間お待ちください。

2008年4月20日 (日)

中南米編38 もうひとつの大都市リオ・デジャネイロ

400km/101394km サンパウロ-リオ・デジャネイロ

005s_america サンパウロからバスに乗って7時間、ブラジル第2の都市リオ・デジャネイロにやってきました。
リオ・デジャネイロは1960年にブラジリアに首都が移されるまで約200年間ブラジルの首都だった所でもあります。
人口700万人のこの大都市はカーニバル、コパカバーナやイパネマなどのビーチ、そしてボサノバの発祥の地など様々な顔を持っています。

まずはビーチへ。
010p1060216 ”コパカバーナ”や”イパネマの娘”は日本でもお馴染みの曲ですよね。その舞台になったビーチが目の前に広がっていました。

ただ時期的にはもう夏も終わりで天気も曇りがちで海の水も入っていられない程冷たかったです。

020p1060211_2 それでも”名物”Tバックはたくさん見られました。

030p1060213 またビーチのあちこちで砂の芸術を競い合っていました。

110p1060221 そしてリオ・デジャネイロにはもうひとつの名物があります。昨年インターネットで選ばれた新世界の7不思議にも選ばれた高台に立つキリストの像です。コルコバードの丘に立つその像を見に行きました。

120p1060228  130p1060246_2 高さ30m、重さ1トン以上と言う巨大な像です。奈良の大仏が15m位なのでちょうどその2倍の高さということになります。
丘を見上げる湖の畔からもその像ははっきりと見えました。

140p1060258 そして700mの丘を登って頂上に立つと、、、
でかい!さすがにすごい迫力で目の前に立ちはだかります。自分はキリスト教徒ではありませんがそれでもこのスケールの大きい像を見ていると拝みたくなってしまいます。

150p1060255 その像の背中の部分は中が礼拝堂になっていました。今日も信者がお祈りを捧げていました。

160p1060253 またこの丘から見る下界の景色が何ともすばらしかったです。遠くに見える海岸がコパカバーナのビーチです。

170p1060226 途中の乗り換え場所には変わった風貌の猿がいました。まるで頭を角刈りにしたかのようなヘアースタイル。思わず吹き出してしまいました。

さてほんの短いリオ・デジャネイロでの滞在でしたがここから更に北上を続けます。

2008年4月13日 (日)

中南米編37 日本移民草分けの地

1080km/100994km フォス・ド・イグアス-サンパウロ-サントス-サンパウロ

005s_america イグアスの滝から夜行バスに乗って17時間、南米最大の都市サンパウロにやってきました。今回の移動でこの旅始まって以来10万キロを突破しました。地球を2周半したことになります。随分長い距離を移動したものです。でもまだこれからも続きます。

010p1060117 バスの中で偶然日系2世の方とお会いしました。前田さんとおっしゃりご両親は高知県出身だそうです。日本語は簡単な会話なら大丈夫です。奥さんはこちらの方だそうで奥さんや3人の子供さん達は日本語をほとんど話さないんだそうです。ですからご本人もだんだん日本語を忘れてしまっているそうです。とは言え67才とは思えぬ元気さで道案内をして下さいました。どうもありがとうございました。15年前に渡日して高知の親戚の人達と会ったことは忘れられない思い出だそうです。前田さんと話をするうちに日本人の移民がブラジルにどのように渡り、またその後どういう運命をたどって現在の生活を営んでいるのかを知りたくなりました。

サンパウロ、人口1500万人、この1世紀弱で人口が10倍に膨れあがったそうです。地下鉄も3路線ありブラジルの国民総生産の実に50%はここで生まれるそうです。今やブラジルのいや南米の経済、文化の中心と言える大都市です。
このサンパウロに今年100周年を迎えた日本からの移民の深い歴史が刻まれています。

現在ブラジルに住む日系人は130万人で全人口の1%弱を占めるそうです。そのほとんどがこのサンパウロ周辺に住んでいるのです。
ここには出身地毎に47全都道府県の県人会があるんです。どれだけ多いかが想像できますよね。
110p1060132 リベルダージ地区と呼ばれる東洋人街(昔は日本人街と呼ばれていたが近年中国人、韓国人が増えたのでこう呼ばれるようになったそうだ。)にはこのように提灯の街灯が灯されその中心部にある大阪橋には大きな鳥居がかかっています。

120p1060133 130p1060126 140p1060129 145p1060139 150p1060120 160p1060131 170p1060138  中心街を歩くともうびっくり。寺、本屋、布団屋、電器屋、着物屋、食堂、ラーメン屋、スーパーなどが所狭しと並んでいるんです。スーパーに入って更にびっくり。食器、台所用品などの家庭用品、文房具、それに味噌、しょう油、ブラジル産日本酒、納豆、豆腐、漬け物、刺身用の魚、白菜やごぼうなど日本と同じ野菜、米、うどん、高野豆腐など乾物、冷凍食品、お菓子、それに弁当や総菜などなどもうまるで日本の大きなスーパーが丸ごと引っ越してきた感じです。買い物しているのも日系人が多いので本当に自分は日本に帰ってきたのだという錯覚に陥ってしまうほどです。ここが世界一大きな日本人街だというのもうなずけます。

180p1060194 190p1060197200p1060198  また週末になると駅の周辺にたくさんの屋台が並びます。その中に”南米神宮”の出店があってお守りまで売っているんです。今川焼きやたこ焼きまでありました。

210p1060163 ある日このお弁当を買ってサンパウロから75キロ離れたサントスと言う港町に行きました。
そこは100年前に日本から初めての移民781人を乗せた笠戸丸が上陸した場所です。丘の上に登ると港が一望できます。100年前どんな思いでこの地に降り立っただろうと思いを馳せながらおいしい日本食弁当をいただきました。

220p1060174 これは日系移民上陸記念碑。サントスの海岸に10年前の90周年記念に建てられたそうです。そこには”この大地に夢を”と大きく書かれていました。このように大きな夢を持って日本からやってきたんでしょうね。

310p1060190 320p1060192_2 さて当時サントスに上陸した移民の方達はこのような移民列車に乗ってサンパウロにあるこの移民収容所にやって来ました。ここは現在移民博物館として公開されています。世界各国からやって来た移民の歴史が紹介されています。

330p1060159_2 340p1060184 350p1060186 その中には笠戸丸でやって来た最初の方達の写真や当時の生活ぶりが紹介されていました。また移民データベースがあって名前ややってきた船で検索できるようになっていました。

リベルダージ地区にも博物館があります。ブラジル日系移民史料館です。こちらはその名の通り日本人の移民の歴史、そして現在をいろんな角度から展示していていてとても興味深いです。
写真は撮れませんでしたがその内容を要約してみます。

1908年から太平洋戦争が始まるまでの30年余りの間に20万人近くの日本人がブラジルに渡りました。最初の頃は言葉も解らず気候、食べ物も違う場所でただ働くばかりという奴隷と同様の暮らしだったそうです。移民の父上塚周平氏の有名な句があります。”夕ざれや 木陰に泣いて コーヒーもぎ” じーんとする句ですね。
こういう苦労を重ねながらも彼らは歯を食いしばってがんばり次第に自営開拓農を始めていろんな作物や家畜、それに養蚕、野菜、果物、い草などを次々と成功させていきました。そして商工業にも進出して活躍の場を広げていったのです。
こうした矢先の1935年ブラジルでナショナリズムが起き日本語を含む外国語の教育が禁止されてしまったのです。そしてそれに続き太平洋戦争の勃発。これによってブラジルの移民は孤立してしまうこととなったのです。
彼らは移民当初は自分達のことを在伯邦人と呼んでいました。いつかは一旗揚げて日本に凱旋帰国する、そんな思いがあったに違いありません。
ところがこうした状況からその夢は断念せざるを得なくなってきました。2世や3世も生まれ育ってだんだんとこの地で生きていこうという思いに変わってきたのです。その頃から自分達を日系ブラジル人と呼ぶようになったのです。
また遠ざかっていた祖国日本との交流が再び活発になった出来事があったのです。それは1949年、古橋広之進をはじめとする日本水泳チームが全米選手権で4種目において世界新記録で優勝したことです。その翌年にはチームがブラジルを訪れて熱烈歓迎を受けたそうです。これは余談ですがこの時古橋広之進はアメーバ赤痢にかかってしまい、その後遺症で52年のヘルシンキ・オリンピックでは不振に終わってしまったらしいんです。これはブラジルでの生活がそれだけ大変だというひとつの証拠にもなります。
1953年からは移住が再開され新移民として更に6万人がブラジルに渡りました。
それからは個人だけでなく日本企業も次々にブラジルに進出していきました。
その後1980年代には今度はブラジルから日系人が日本に働きに来るという逆転現象も起きて現在に至っています。

360p1060202 またこの史料館に勤めている日系2世の土居正さんにいろんな話を伺いました。
日系移民の意識も時代と共に変わってきたそうです。言葉も通じなかった1世の方達は日本人同士が助け合う為に県人会などの組織を作っていたそうです。しかし2世になると学校では日本語を習わないので(習わせる家もあるそうです)次第に日本に対する祖国と言う意識は薄れていくようです。その代わりにブラジル社会により深くとけ込み実業家や政治家なども出てきているのです。

移民の歴史としてはハワイに遅れること50年、アメリカ本土やペルーよりも後発でした。
最初の移民がブラジルの土を踏んでから100年。先代の苦労を足がかりにして着実にブラジルに根を下ろしている日系人。
今年は皇室の方をお迎えして記念行事が行われる予定だそうでみんな楽しみにしているようです。
これからも海外で日本人として、いや日系人として永く活躍していってほしいと思わずにはいられませんでした。

2008年4月 9日 (水)

中南米編36 ド迫力、イグアスの滝

1556km/99914km ブエノスアイレス-プエルト・イグアス-フォス・ド・イグアス(38カ国、地域目 ブラジル)

010s_america ブエノスアイレスから夜行バスに18時間揺られてプエルト・イグアスと言う町にやってきました。
アルゼンチン、パラグァイ、ブラジルの国境地帯にある世界3大瀑布のひとつイグアスの滝を見るためです。
イグアスとは先住民グアラニー族の言葉で”壮大な水”を意味するんだそうです。

015p1060030 翌日さっそく滝の見学へ。朝からあいにくの曇り空です。バスで小1時間で滝の入り口に到着です。そこから観光電車に乗り換えて終点まで。そしてさらにイグアス川にかかる遊歩道を歩いて進みました。遠くの方で水煙が上がっています。

020img_0600 0301 その方向にずっと歩いて行くと突然目の前に轟音と共にいきなりイグアスの滝の中でも最も迫力のある悪魔ののどぶえと呼ばれる滝が目の前に現れました。

040p1060081 その迫力は凄まじいものがありました。

ここの観光ツァーの目玉がボートに乗ってこの悪魔ののどぶえの滝壺に突入すると言うものでした。いくら濡れてもいいように海パンに着替えてさっそく挑戦です。ボートはいくつかの小さな滝の滝壺で準備運動?をしてから本命に向かって行きました。ドライバーはきっと熟練していて安全にしかもスリルが味わえるぎりぎりの線でボートを操ってくれているんです。滝壺に近づいた瞬間ものすごい量の水がボートを直撃しました。あちこちから悲鳴、歓声があがっています。数秒後、その滝壺から脱出しました。全員全身水浸しになりながらも大声で喜んでいました。

110brazil_l_150 120img_0636 さて翌日国境を越えてブラジル側の町フォス・ド・イグアスに来ました。こちらからもイグアスの滝を見に行きました。

130img_0637 140img_0663 150stb_0641 1603 この日はよく晴れていて滝の水しぶきに見事な虹がかかっていました。こちら側からは滝の全容がよく見られました。

210img_0561 220img_0614 230rimg0499 またこの近辺にはめずらしい動植物もたくさん見られました。ハナグマやきれいな蝶々達、それに色とりどりの鳥達。特にオニオオハシは大きなくちばしがとても美しかったです。

これから南米のほぼ半分を占めるこの広大な国を周って行きたいと思います。

2008年4月 5日 (土)

中南米編35 アルゼンチンあれこれ

0km/98358km ブエノスアイレス

それではアルゼンチンの食べ物から紹介します。まず肉はよく食べます。

010p1050478 こちらではアサードと言うバーベキューが一般的でこのように牛、羊、豚、鶏などを豪快に焼いて食べます。

020p1050477 これはパリジャーダと言う肉の盛り合わせ。血のソーセージや内臓など栄養満点です。

025p1050995 もちろんステーキもあります。こちらでは素朴な料理法で素材の味を楽しむ料理が多い気がします。

030p1060020 040p1050844 そしてブエノスアイレス市内に多いのが食べ放題。中華やアサード、サラダ、デザートが食べ放題の店は安くておいしくてヤバイです。その他韓国街には焼き肉食べ放題、日本橋と言う日本料理屋ではしゃぶしゃぶ、すき焼き食べ放題とどう考えても体重がどんどん増えていくのを実感する毎日です。

050p1050921

そして宿でもぎょうざを200個作ってみんなで食べました。限られた材料で作ったけどおいしくてみんな腹いっぱい~。

060p1060095 そしてこれはスルビと呼ばれるナマズ。淡泊でさっぱりしておいしかった~。

070p1050489 これは南米でよく飲まれるマテ茶を飲むための道具。カップの中にお湯と茶葉を直接入れます。そしてこのボンビージャと呼ばれるストローの先が茶こしのようになっていて吸うとお茶だけが上がってきます。ちょっと苦みがあるけど飲んでいるうちにくせになる味です。

080p1050493 アルゼンチン代表のビールはキルメス。苦みが少なく飲みやすい味です。自分にはちょっと物足りなかったかな。チリでワインが安くておいしいと思ったんだけどここアルゼンチンではワインはもっと安くてびっくりです。1リットルの紙パック入りワインが何と100円ちょっと。信じられない安さです。しかも味もそこそこ飲める感じでもう大喜びでした。

110p1050841 120p1050944 去年の11月にペルーのリマでジャカランダが咲いていましたがここブエノスアイレスは今が満開です。あちこちに大きな木があって紫色のきれいな花をたくさん咲かせています。

130p1050983 こちら街角の演奏家。さすがタンゴの国です。

140_2  バスで移動中に出くわしたデモ。道をふさいで行っているためバスは30分位立ち往生してしまいました。現在アルゼンチンでは農民達が各地で大規模なデモを行っているんだそうです。テレビの実況中継用のカメラも見えます。

210p1060004 220p1060013 そしてブエノスアイレスを離れる直前に遊園地に行きました。久しぶりだったのでこういうコースター系を存分楽しみました。そして最後に挑戦したのがこの逆さバンジーです。うつ伏せになった状態で宙づりになってそのまま地上60メートルの高さまで上げられます。自分でスタートスイッチを入れるとそこから時速80キロで一気に落下しました。下から見ている時は無茶苦茶恐そうだったのに実際にやってみるとそうでもなかったです。上からの景色はまた格別でした。

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