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2007年5月の9件の記事

2007年5月31日 (木)

アフリカ編32 タンザニアの食べ物

0km/44350km ザンジバル

010p1000519_1 こちらはタンザニアの定食です。牛の煮込み、煮豆、野菜炒めそれにライスとボリュームたっぷりです。味も意外に薄味で日本人の好みに合います。

020p1000673 これはザンジバル名物のザンジバルピザです。ピザと言うよりもお好み焼きに近いです。小麦粉を練った生地を伸ばしてキャベツ、卵、ひき肉、チーズなどいろいろ入れて焼きます。ケチャップとマヨネーズで食べるのですがこれがとってもおいしいんです。3回も食べちゃいました。

030p1000553 これが串焼き。鶏、羊、魚、海老、ワニなどいろいろありましたが今日は鶏を。ちょっとカレーに似たスパイスが入っていましたが美味でした。

040p1000591 ザンジバルは島なので魚介類がとても豊富です。こちらは煮ダコとイカ焼きです。これはもうビールには最高です♪

050p1000692 こちらもタコ、味付けがあっさりなので素材の味がよくわかってまるで日本料理みたいです。

060p1000698_1 070p1000727_1 宿の近くで漁師が魚を獲ってきて村の人に売っていました。自分も欲しくなって名前がわからない白身の魚を1匹100円で買いました。海岸で焚き火をしてそれを焼いてみました。表面が黒こげですが醤油をちょっとたらして食べたら、、、最高!

080p1000787 こちらは近所で売っていた揚げた魚。塩気があってパンと一緒に食べると美味です。

090p1000794 別の場所では揚げたイワシがありました。一緒にあるのは焼いたキャッサバ(いもの一種)です。さつまいもにそっくりでおいしいです。

100p1000688 タンザニアにはたくさんの地ビールがあります。キリマンジャロ、セレンゲティ、サファリなど観光地にちなんだ名前が多いんです。自分はこのタスカー(TUSKER)というビールがこくがあって苦味も強くおいしく感じました。古き良き日本のビールと言う感じでした。

2007年5月28日 (月)

アフリカ編31 ザンジバルの悲しい2つの歴史

96km/44350km ザンジバル-プリズン島-ザンジバル-ジャンビアーニ-ザンジバル

ザンジバルには2つの悲しい歴史が残されています。

まず1つ目がこの島がかつて東アフリカ奴隷貿易の中心地であったことです。
16世紀からヨーロッパ人の手により多くのアフリカ黒人奴隷が南北アメリカ大陸に運ばれました。その数実に数千万人。運ばれる途中に死んでしまう人はその10%以上とも5倍以上とも言われています。しかし18世紀末になると、ヨーロッパ各国で奴隷制や奴隷貿易に対する批判が大きくなって徐々に奴隷貿易は廃止されました。
ここザンジバルではアラブの奴隷商人が東アフリカ全域より捉えられたアフリカ人を運んで来て奴隷市場を作ったんだそうです。奴隷貿易が廃止された以後も密貿易の形で奴隷貿易は続けられました。
010img_3736 現在は大聖堂になっている場所では1873年まで夕方16:00になると奴隷市場が開かれていたそうです。

020img_3733 030img_3738 この隣の建物の地下室には当時運ばれて来た奴隷が収容されていた地下室がありました。暗く湿って狭い室内には奴隷達が縛られていたであろう鉄の鎖が残っていました。

040p1000642_1 050p1000631 060p1000669 070p1000644 さらにザンジバルの北方3キロにあるプリズン島に行きました。そこは当時ふとどきな奴隷が監禁されていたんだそうです。でもそのふとどきと言うのがもし脱走を図ったのだとしたらそれはふとどきではなくてとても当たり前な人間的な行動だと思うのですが。その監禁所には監禁された人を縛っていた鉄の玉や鎖、留め金などが生々しく残っていました。同じ人間として生まれたのにたまたまアフリカで生まれたばかりにこのような不遇にあう羽目になってしまったのです。そしてやっとの思いで南北アメリカ大陸にたどり着いた彼らにはご存知のように更なる悲惨な運命が待ち構えていたのです。

そして2つ目はここにからゆきさんがいたことです。
からゆきさんとは日本から諸外国に売春のために売られていった婦人のことです。1894年、日本人として初めてザンジバルに訪れたのは他でもないこのからゆきさん達だったそうです。最盛期には十数人いてつい40数年前までここで暮らしていたそうです。
080p1000562 その彼女達が当時暮らしていたのがここです。今では商店などになっていますがこの長屋風の建物は健在でした。

090p1000568 またこのすぐ近くには彼女達が営んでいたJapanese Barがありました。彼女達はとても友好的で地元の人々に愛されていたそうです。現在は地元の人の住居となっているそうですが当時は英国領事館の前にあったためかかなり繁盛していたらしく船員達がたくさん集まる流行のバーだったそうです。
100年以上前に遠いアフリカの地に連れて来られてそこで日本に想いを馳せながらも健気に働いていた日本人女性の姿が目に浮かびました。

100p1000770 このように時代も背景も違う2つのできごとがここザンジバルで起きました。この両方に共通するのが人権問題だと思います。世界には過去、そして現在にもたくさんの人権問題が存在しています。ある時点では人権に反すると言われていることがその少し前には平気で行われていました。そして地道な人権獲得の努力の末徐々に社会に浸透していくのです。現在でも行われている様々な差別と偏見、そしてそれを克服しようとする運動。人間が社会を形成していく限りこれは永遠の課題かも知れません。
でも自分はいつの日にかこういういわれのない差別と偏見がなくなって地球上のあらゆる人々が平和で幸せな人生を歩めるような地球であって欲しいと心から願うのです。我々は皆同じ地球という小さな星の元で短い一生を生きている仲間なのですから。

又、この島は今は亡きクィーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの生地でもあると言うことです。自分は昔よくクィーンの曲を聴いたので感慨深いです。

2007年5月26日 (土)

アフリカ編30 タンザニア国境からダルエスサラーム、そしてザンジバルへ

1086km/44254km チルンバ-カロンガ-ソングウェ(18カ国目 タンザニア)-ムベヤ-ダルエスサラーム-ザンジバル

010africa_5 Photo フェリーを降りて1泊した後、バスを乗り継いで国境を越えてタンザニアに入りました。そこからさらにバスでムベヤと言う町に来たのです。
タンザニアに入ってまず感じたのはイスラム系の人の数がぐっと増えたことです。国民の35%がキリスト教、そして同じ35%がイスラム教だそうです。そして肌の色もとても黒い人もいれば褐色の人もいます。また今までよりも英語を話さない人がたくさんいる感じがします。
あいさつは”ジャンボー”、”ジャンボー”又は”マンボー”、”ボア”です。

020p1000497 町の真ん中には日本とタンザニアの友好を記念してこのような記念碑?が建っていました。タンザニアには中国人がたくさんいるそうで町の人も最初自分とすれ違うと”チーノ?”と声をかけてきました。”いや、日本人です。”と言うと”そうかそうか、俺は日本人が好きだ。日本はこの国にたくさん手助けをしてくれているんだ。”とうれしそうに話してくれるのです。そうやって話してくれるととてもうれしいものですね。自分の税金がこういう所にも役に立っているんだと感じられました。

そして翌朝早くまたもや長距離バスでダルエスサラームに向かいました。

030p1000518 途中停まった町では高い座席に乗っている自分達によく見えるように焼きとうもろこしを長い棒に刺して売っているのがとても可愛らしかった。もちろん本人達はおおまじめですけどね。

040p1000523 さてダルエスサラームはアラビア語で”平和な港”と言う意味だそうです。その通り海に面しているタンザニア最大の都市です。3-5月が雨季だそうで夕方着いた時にもかなり降っていました。今までの高原地帯と違いすごい湿気です。タクシーの運ちゃんは”毎日雨雨でいやになっちゃうよ。”とこぼしていました。

050p1000541 060p1000543 070p1000684 090p1000696 100p1000711 110p1000757 080p1000691 それから2日後さらにそこからフェリーに乗ってザンジバルと言う島に向かいました。そこは昔はアラブ商人の町、1964年にタンガニーカと合併してタンザニアとなるまではこの島だけで独立した国でした。さて島は青い海と白い砂浜に覆われて大変美しい場所です。人はみな素朴でいい人達です。次回はこの島が背負った悲しい歴史に触れてみたいと思います。

2007年5月23日 (水)

アフリカ編29 マラウィ湖縦断

450km/43168km モンキーベイ-12箇所-チルンバ

マラウィー湖を2泊3日かけてほぼ縦断するフェリーがあると聞いて乗ることにしました。毎週金曜日の朝10時にモンキーベイを出航して12箇所の港に寄って日曜日の18時半に終点のチルンバに到着します。フェリーはかなりの大型で400人以上の人と100トンの貨物を載せることができるそうです。

010p1000349_1 030p1000354 出発の朝9時に港に行きました。すると大きな船が待っていました。岸壁には見送りする人達の姿、船の旅はこうやって目の前で別れを惜しみつつ出発するので情緒があって好きなだなぁ。この船は湖の沿岸で生活する人達の足にもなっています。トマト・とうもろこしの粉・ビールなどの食料品、Tシャツ・サンダルなどの衣料品、それに自転車のタイヤなどたくさんの物資を積み込みました。これからこれらを沿岸の村や島に運ぶのです。

10時半に出港して1日目の昼は平和に順調に航海(航湖?)は続きました。船は静かに湖を北上して行きます。遠くに近くに島々が見えてまるで海の中を走っているようです。でも吹き寄せる風は塩分を含んでないのでさらっとしています。

045p1000464 050p1000375 デッキには白人のお客数組がいるだけでちょっと贅沢な気分にさせてくれます。デッキに座って移り行く景色を見てるととてもリラックスします。

060img_3683 080img_3677 途中何回が港に着いて人や荷物の積み下ろしをします。大きな港には船着場があって直接着岸できます。小さな港では着岸できないので小型のボートで乗り降りするんです。船が着くと待ちわびていたようにたくさんの人が岸辺に集まってきて人や荷物を出迎えています。この船は本当に生活に欠かせないものなんだなぁ。
そんなのどかな船旅も夕食を食べる頃から様子が変わってきたのです。あんなに静かに走っていた船が左右に揺れ始めたのです。始めは少しだったのですがそれがだんだん激しく揺れるようになり寝る頃にはベッドの上で体が動いてしまう程揺れるのです。風が強く時々波しぶきが船体にぶつかる音やあちこちのドアがばたんと閉まる音でなかなか眠れません。結局真夜中まで起きていました。

2日目は日の出を見たいと思い5時半に起きました。相変わらず揺れは続いています。軽い船酔いで胃がムカムカします。それでもデッキに出て日の出を待ちます。

090p1000396 空がだんだん明るくなっていきました。遠くの方がきれいな朝焼けをしています。揺れる船の上で必死にシャッターを切りました。

100p1000414 そしてとうとう朝日が顔を覗かせました。遠くの山々の中に富士山そっくりの形をした山がありました。ちょっとうれしくなって自分はこの山にマラウィ富士と名づけました。

110p1000395 朝焼けに映るシルエットどうですか?その日も午後になるとだいぶ揺れも収まってまたのんびり旅が続きます。

200p1000456 訪れる村もだんだん小さな村が多くなり集まってくる人もまばらです。そして大きな木をくり貫いて作った丸太舟で子供達が荷物を運びにやってきました。

3日目、朝起きると曇っていてかなり肌寒い。そして湖の上には大きな虹がかかっていました。間もなく天気も回復して最後の日ものんびり船旅が続きました。

300p1000443_1  チルンバには2時間程遅れて20時過ぎに着きました。

途中で一時かなり遅れたため予定していたリコマ島への上陸はできませんでしたがマラウィ湖の美しさと沿岸部落ののどかな風景を堪能できました。次の国を目指します。

2007年5月20日 (日)

アフリカ編28 マラウィの青年協力隊

120km/42718km モンキーベイ-マンゴチ-モンキーベイ

海外青年協力隊ってご存知ですか?
日本国政府が行っている海外援助の一つでボランティアの青年(シニアもある)を要請があった国に派遣しているのです。派遣先の国や支援内容は多岐に渡っています。
詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
http://www.jica.go.jp/

今までネパール、マダガスカル、そしてザンビアで海外青年協力隊の方にお会いしました。みなさんいろんな困難に会いながらも一生懸命活動されている姿に感動しました。

そして今回ザンビアからマラウィに移動する時に、マラウィに赴任していて休暇でザンビアに来ていたという海外青年協力隊の波崎さんにお世話になりました。
マラウィの首都リロングェに着いて一緒に食事をしました。すると”よかったらボランティアの現場を見に来てみませんか”と誘っていただきました。今までこういう機会がなかったので喜んで見させてもらうことにしました。

マラウィは北海道と九州をあわせた位の広さでそこに1,100万人程が暮らしています。マラウィ湖という大きな湖がある内陸国でアフリカの滋賀県などと呼ぶ人もいます。そのマラウィには現在90人もの隊員が先生、家畜の人工授精、果樹栽培などで活動しているそうです。派遣が決まって日本で3ヶ月の研修を終えるといきなり現地に行きそこでたった1ヶ月の現地研修の後にそれぞれの場所に赴任するそうです。彼の場合初めての海外旅行がいきなり海外青年協力隊でいきなりアフリカでしかも2年間は日本にも帰れないそうなんです。だから最初のうちはいろいろ大変だったそうです。

実は自分もその昔海外青年協力隊にあこがれて応募要項まで取り寄せたけどいろいろあって結局実現できなかったことがあるんです。

010p1000330 彼の仕事場の学校はモンキーベイから乗り合いトラックで2時間程行ったマンゴチと言う小さな町にあります。マラウィの学校は84制で彼はその後半(セカンダリースクール)の生徒に数学を教えているんだそうです。義務教育ではないそうで全員が学校に通える訳ではありません。

020img_3614 030img_3609 040img_3612 050img_3617 平日の昼過ぎに突然おじゃましました。ところがあいにく彼はその日の午後は授業がなく外出しているところでした。そこで教室での授業や校内の様子などを撮らせてもらいました。屈託のない子供達が笑顔で迎えてくれました。こちらでは400人程が学んでいるそうです。

060img_3619 同じ敷地内にある彼の住居でしばらく待っていると彼が帰ってきました。

ちょうど海外青年協力隊シニア隊員の長谷さんと一緒でした。それからお二人にいろいろお話を伺いました。長谷さんは2年程前にこちらに赴任されて、ふとしたきっかけから現在マラウィの国営放送のテレビ番組を制作、出演されているんだそうです。その名も”サイエンスマン”。それまでマラウィには日本によくある科学の不思議を探求、検証する番組が全くなかったんだそうです。それでマラウィの子供達がもっと科学に対する興味を持ってくれるきっかけになればと言う願いからこの番組を始めたそうです。1回15分の番組が再放送を含め週に3回流れて大人気だそうです。今日も一緒に乗っていた車の外から子供に声をかけられて手を振っていました。その時は何だろうと思ったのですがお話を伺ううちに納得できました。

海外でこのように自分のやりたいことに挑戦しているお二方始め隊員のみなさんの姿を見て自分も元気をもらったし、これからの自分の半生について考えるきっかけをくださいました。

070p1000269_1 お二方、そして今回ザンビア、マラウィでお会いしていろいろ情報を下さった方々、本当にどうもありがとうございました。これからも体には十分に気をつけてご活躍ください。

2007年5月17日 (木)

アフリカ編27 一年

今回の旅を始めて18日で1年になります。今日は思い出深い写真を一挙掲載させていただきます。
010img_1284 思い起こせば去年の5月18日、準備不足と緊張からほぼ徹夜明けのハイな状態で成田から釜山に向けて旅立ったのでした。

015p1470519 最初のうちは見る物聞く物全て珍しくて目を丸くしながら旅してました。
食べ物が口に合わなかったり1泊2000円の宿が汚く思えて閉口したりと今振り返るとニヤッとするようなエピソードをたくさん生みながら旅はそこそこ順調に進んで行ったのです。
018p1450872 ところが8ヶ月が過ぎアジアが終わる頃になるとこの旅もマンネリ化してきて何を見ても感動しにくくなっていました。

020img_0135 そこへモーリシャスでの盗難事件が起きて自分の心は揺らぎました。こんな目にあってもまだ旅を続けるのか?この先もっと大変なことが起きたらどうするのか?挙句の果てには自分はいったい何のために旅をしているのか?そんなことを思うようになったんです。

030img_8642 でも少し落ち着いて考え直してみました。
自分は小さい頃から旅が好きだったんです。幼稚園の頃には自宅から10キロ離れた両親の職場まで1人で歩いて行って驚かせたことがありました。また小学校の時は毎週土曜日になると昼に学校から帰ってきてから電車とバスを乗り継いで母の実家がある田舎の村に遊びに行ったものです。一人で乗り物に乗って出かけるのが楽しくて仕方なかったんですね。そして学生時代は国内のあちこちにふらっと出かけるのが好きでした。友達からは”また失踪したぞ。”なんて言われてました。そしていつの頃からか将来世界の旅に出たいと思うようになっていました。
その思いが今こうして実現しているのです。だから少し位の困難にめげてなるものか。そう思い直したのです。アフリカに突入したこともいい刺激になっています。

040p1460384 旅を始めた最初の頃は1箇所には数日間しか滞在しないで早足に次々と周っていました。でも最近の傾向としてはあまりあちこちに行かないで1箇所で長く滞在しています。そこで人々の暮らしをもっと身近にじっくりと見て見よう、どっぷりと体験してみようという気持ちが強くなったのです。実際モーリシャスからはその土地の人々と接する機会が増えました。宿のオーナーやスタッフ、コーヒーショップの店員、道端で野菜を売っている女の人、乗り合いバスで隣り合わせた人などいろいろです。中には”南ア日本人会”というTシャツを着た黒人グループもいました。こういう人々との出会いは旅の醍醐味のひとつです。

050p1460062l 今では米はおろかとうもろこしの粉をこねた主食も素手でおいしくいただき、1泊300円の宿で水だけのシャワーやシャワーすらなくてもそれなりに過ごすことができるようになりました。24時間窮屈なバスで移動したりゴキブリがうようよいるキッチンで食事を作ったりもお手の物です。現在46才の自分は徹底して安く旅をしようと言う気持ちはありません。でも自分にとって自分自身がこれだけ変化を遂げられたことがうれしくて仕方ないのです。サラリーマン生活を22年間続けてきた自分にとって今までにない新しい自分との出会いとなったのですから。
060p1000169 またこの1年大きな怪我や病気がなかったことも感謝の念で一杯です。40才を過ぎてから体力の衰えは目に見えて激しくなっています。でも旅に出る前までずっと続けてきたエアロビクスなどの運動を通した体力維持はとても役に立っていると思います。
070p1460446 今回の旅の一番の収穫と言えばやはりこれまで以上に日本のことが好きになったと言うことです。食べ物はおいしいし、美しい四季の自然もあるし、人はいいし、秩序はあるし、温泉もあるし、そこそこ安全だし、気心が知れているし。自分が生まれ育った国、やはり日本が最高だと思います。

080p1470890 さてとりとめもない話をしましたが、今日をひとつの節目にしてこれからまた新たな気持ちで旅を続ける決心がつきました。みなさんがこのブログを見てくださることは自分にとってこの上ない励みになります。今まで本当にありがとうございました。

090img_3035 いったいいつまでこの旅が続くのか自分でもまだわかりませんがこれからもこのブログをよろしくお願いします。

2007年5月15日 (火)

アフリカ編26 バス大移動、一気にマラウィ湖へ

1330km/42598km リビングストン-ルサカ-チパタ-ムチンジ(17カ国目 マラウィ)-リロングェ-モンキーベイ

010africa_4 014p1000242 016p1000244 リビングストンからバスでザンビアの首都ルサカに向かいました。草原の中の1本道をひたすら走り続けます。途中で小さい町をいくつか通り過ぎながら7時間程たった夕暮れ時に到着しました。ルサカはザンビアの首都だけあってかなり都会です。

018p1000247 ここに小錦と思われる相撲取りが大きな看板になっていました。多分肌の色が濃いのでアフリカ人に馴染み易いんじゃないかと思うんです。

019 今回ザンビアに来たのはビクトリアの滝を見るのが目的だったのでこの街には1泊だけして翌早朝またバスに乗りました。6時に出発してそこから大型バス、タクシー、そこで国境を越えてさらにタクシー、ミニバスと乗り継いで一日かけて夕方マラウィーの首都リロングェまでたどり着きました。

020p1000297 さて続いてマラウィでの一番の見所マラウィ湖を目指します。リロングウェのバス乗り場に行きました。朝8時の出発予定だったのですが全くバスが来ません。でも今日はもうこのバスしかないので待ちました。9時になってようやくバスが来ました。それからたくさんの人と荷物を載せて10時にやっと出発です。車内は立ってる人もいてすごい混雑です。バスは順調に走っていたのですが午後になって調子が悪くなってきました。ドライバーが突然車を停めて点検を始めました。するとみんな慣れたものですぐに外に出て各自休憩タイムです。

030p1000298_1 辺りにはたくさんのバオバブの木がありました。そんなこんなで予定より4時間半遅れの17時半にやっとモンキーベイに着きました。朝から食事もせずに満員の車内にいたので疲労困憊です。そこからさらに20分以上砂の道をバックパックを転がしてやっと今日の宿に到着です。着いた時にはもう日が暮れていて宿の前にある湖はシルエットしか見られませんでした。

050p1000311 060p1000317 次の朝早く起きて外に出てみると目の前に大きな湖がありました。白い砂浜に波打ち際、まるで海のようです。隣には漁船がいくつか泊まっていました。

070p1000345 こちらモンキーベイでおススメの宿を1件紹介させて下さい。モンキーベイの町の中心にあるHakuna Matata(スワヒリ語で"No problem. Don't worry."と言う意味だそうだ。) Backpackersと言うところです。
南アから来て8年になる白人のおばちゃんが切り盛りしているのは客室数3の小さな宿です。その分細かいところにも気配りが利いて食事もとてもおいしかったです。おばちゃん、お世話になりました。ちなみにシングル350MWK(約300円)、ダブル500MWK(約450円)です。

080p1000389_1 そしてこちらマラウィでは台湾から米の栽培技術を教えてもらったとかで大変においしいご飯が食べられます。マラウィ湖で取れるチャンボと言う淡水魚も焼いたり揚げたりして食べるととてもおいしいです。

090p1000335 またこちらでもとうもろこしの粉をこねたジンバブエのサザと同じ食べ物が主食です。でも名前はスィマと言います。久しぶりに食べたらとってもおいしかった。

2007年5月 6日 (日)

アフリカ編25 ビクトリアの滝とルナレインボー

020p1000061_1 880km/41268km ハラレ-ブラワヨ-ビクトリア・フォールズ-リビングストン(16カ国目 ザンビア)

010africa_3 今年になって初めての列車の旅です。ハラレから夜行列車で翌朝ジンバブエ第2の都市ブラワヨへ。ジンバブエドルの値下がりはさらに続いていて運賃は円換算で200円位と驚くべき安さです。列車は2人用と3人用個室があって結構快適でした。
”世界の車窓”風にいくと”列車は夜9時定刻にジンバブエの首都ハラレを惜しむかのように緩やかに出発して真っ暗になった線路を駆け抜けて行きます。社内ではみんなのんびりと時を過ごしています。そして翌朝明るくなってくると爽やかな空気に包まれて草原の中を走り続けます。”♪タランタンタンタ♪なんて感じでしょうか。
でも実際には隣の人の携帯がピーピー鳴ったり子供が泣き喚いたりで優雅な列車の旅と言うわけにはいきません。それでも窓の外の景色は次々に変わって自分の目を楽しませてくれます。
030p1000142 翌朝9時半にブラワヨに到着しました。ここはジンバブエの商業の中心で駅前に大きな火力発電所があります。ここで丸一日滞在したんですが、日曜日ということでほとんどのお店は休業。仕方がないので映画館で時間をつぶしました。そしてその日の夕方また夜行列車に乗って翌朝ビクトリア・フォールズ駅に着きました。ここには世界3大瀑布のひとつビクトリアの滝があるんです。

0508 060img_3538 070img_3561 0751 ビクトリアの滝は先住民のマコロロ族が「モシ・オ・トゥニャ」(雷鳴轟く水煙)と呼び、恐れていたそうです。さっそく見に行きました。遠くからでも水煙が上がっていてその場所はすぐに分かります。近づくにつれてゴーッと言う地響きのような音が聞こえてきました。この滝一帯は公園として整備されていて入場料を払って中に入らないと滝が見られないようになっています。鎌倉の長谷寺の大仏さんを思い出しました。
さて石段を降りて展望スポットに行くと、、、
うわ~すごい迫力です。毎分30万m³もの水が轟音(ごうおん)のとどろきとともに105mを落下していきます。ずっと見ていると中に吸い込まれていきそうです。いくつかのスポットを周りながら滝の迫力に呆然としていました。

080img_3526 そしてその水煙をスクリーンにして見事な虹がかかっていました。

090 100 このビクトリアの滝はジンバブエとザンビアとの国境になっていておおきな橋がかかっています。この橋を徒歩で渡りました。するとちょうど真ん中辺りでバンジージャンプをやっていました。ロープ1本で繋がれて100m下に飛び下りる様は見ているだけで手に汗握ってしまいます。

さてただでさえド迫力のビクトリアの滝ですがここにはもうひとつ名物があるんです。それは満月の夜に月明かりによって作り出される虹です。ちょうど半年前、去年の11月にインドで偶然満月のタージマハルを見ました。そして今回また偶然にも満月のビクトリアの滝を見る機会がやってきたのです。お月様に感謝しながら満月の前後3日間だけ夜も開放するというビクトリアの滝にチャレンジしました。その姿はもう言葉にできない程美しいものでした。60秒開放してこんな写真が撮れました。どうかご覧ください。

110p1000165 120p1000168

2007年5月 1日 (火)

アフリカ編24 ジンバブエあれこれ

0km/40388km ハラレ

010img_1462 こちらは衣類の市場です。大きな体育館のような場所に新品、古着が所狭しと並べられていてすごい活気です。値段は交渉制でうまくやれば得な買い物ができるかもしれません。

020img_1465 ジンバブエは左側通行で日本の中古車も結構走っています。そこには福島県の飯坂温泉の名前が!あ~これを見たらまた温泉に行きたい~。

030img_1531 040img_1538 平日のハラレの街です。たくさんの人で溢れ返っています。

050img_1548 066img_1700 イースター休日の朝奇妙な格好をした3人組が町に登場です。音楽に合わせて不思議な踊りを披露してチップをもらいつつ移動していきました。どんなことであれ芸を披露して観衆に見てもらうなんて快感でしょうね。子供達はおおはしゃぎです。

070img_1566 イースターのハラレの街は人も車もほとんど通らなくてシーンとしていました。ちなみに日本大使館はこのビルの中にあります。現在ブラックマーケットにおいて急激にシンバブエドルが下落しています。そのため3月末まで8900Z$だった10年パスポート発給手数料がドル換算だとUS$0.4と言う画期的な安さでした。自分もマダガスカルで発給してもらった緊急用1年パスポートをここで通常の10年パスポートに切り替えてもらいました。これでまた安心して旅を続けることができます。

080img_1589 090img_1592_1 ジンバブエのあるお宅におじゃましたらこんな物が並んでいました。シマウマの頭の剥製やゾウの足の腰掛けです。動物愛護団体からクレームがつきそうですがジンバブエにはこういう物もあります。

100img_3454 ジンバブエにはカラスもたくさんいます。彼らは首周りが白くておしゃれなんです。そしてとても用心深くちょっとでも近づこうとするとすぐに逃げて行ってしまいます。鳴き声もほとんどしません。日本にいるカラスもこんな感じだったらみんなから好かれるかも知れませんね。

110img_1684 またこの木はよくみるとポインセチアです。日本でクリスマスの頃によく鉢植えを見かけますよね。それがこんな大きな木でしかも葉がちゃんと色づいていました。ジンバブエはこれから冬を迎えます。

さて気候がよく人がよく物価が安いここハラレについつい長居をしてしまいました。非常に名残惜しいのですがそろそろハラレを離れてジンバブエ一の観光地ビクトリアの滝に向かいます。

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