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2007年5月28日 (月)

アフリカ編31 ザンジバルの悲しい2つの歴史

96km/44350km ザンジバル-プリズン島-ザンジバル-ジャンビアーニ-ザンジバル

ザンジバルには2つの悲しい歴史が残されています。

まず1つ目がこの島がかつて東アフリカ奴隷貿易の中心地であったことです。
16世紀からヨーロッパ人の手により多くのアフリカ黒人奴隷が南北アメリカ大陸に運ばれました。その数実に数千万人。運ばれる途中に死んでしまう人はその10%以上とも5倍以上とも言われています。しかし18世紀末になると、ヨーロッパ各国で奴隷制や奴隷貿易に対する批判が大きくなって徐々に奴隷貿易は廃止されました。
ここザンジバルではアラブの奴隷商人が東アフリカ全域より捉えられたアフリカ人を運んで来て奴隷市場を作ったんだそうです。奴隷貿易が廃止された以後も密貿易の形で奴隷貿易は続けられました。
010img_3736 現在は大聖堂になっている場所では1873年まで夕方16:00になると奴隷市場が開かれていたそうです。

020img_3733 030img_3738 この隣の建物の地下室には当時運ばれて来た奴隷が収容されていた地下室がありました。暗く湿って狭い室内には奴隷達が縛られていたであろう鉄の鎖が残っていました。

040p1000642_1 050p1000631 060p1000669 070p1000644 さらにザンジバルの北方3キロにあるプリズン島に行きました。そこは当時ふとどきな奴隷が監禁されていたんだそうです。でもそのふとどきと言うのがもし脱走を図ったのだとしたらそれはふとどきではなくてとても当たり前な人間的な行動だと思うのですが。その監禁所には監禁された人を縛っていた鉄の玉や鎖、留め金などが生々しく残っていました。同じ人間として生まれたのにたまたまアフリカで生まれたばかりにこのような不遇にあう羽目になってしまったのです。そしてやっとの思いで南北アメリカ大陸にたどり着いた彼らにはご存知のように更なる悲惨な運命が待ち構えていたのです。

そして2つ目はここにからゆきさんがいたことです。
からゆきさんとは日本から諸外国に売春のために売られていった婦人のことです。1894年、日本人として初めてザンジバルに訪れたのは他でもないこのからゆきさん達だったそうです。最盛期には十数人いてつい40数年前までここで暮らしていたそうです。
080p1000562 その彼女達が当時暮らしていたのがここです。今では商店などになっていますがこの長屋風の建物は健在でした。

090p1000568 またこのすぐ近くには彼女達が営んでいたJapanese Barがありました。彼女達はとても友好的で地元の人々に愛されていたそうです。現在は地元の人の住居となっているそうですが当時は英国領事館の前にあったためかかなり繁盛していたらしく船員達がたくさん集まる流行のバーだったそうです。
100年以上前に遠いアフリカの地に連れて来られてそこで日本に想いを馳せながらも健気に働いていた日本人女性の姿が目に浮かびました。

100p1000770 このように時代も背景も違う2つのできごとがここザンジバルで起きました。この両方に共通するのが人権問題だと思います。世界には過去、そして現在にもたくさんの人権問題が存在しています。ある時点では人権に反すると言われていることがその少し前には平気で行われていました。そして地道な人権獲得の努力の末徐々に社会に浸透していくのです。現在でも行われている様々な差別と偏見、そしてそれを克服しようとする運動。人間が社会を形成していく限りこれは永遠の課題かも知れません。
でも自分はいつの日にかこういういわれのない差別と偏見がなくなって地球上のあらゆる人々が平和で幸せな人生を歩めるような地球であって欲しいと心から願うのです。我々は皆同じ地球という小さな星の元で短い一生を生きている仲間なのですから。

又、この島は今は亡きクィーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの生地でもあると言うことです。自分は昔よくクィーンの曲を聴いたので感慨深いです。

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コメント

Yoshiさん、今日本では派遣労働者の人々が
多くなっています。彼らは、現代版の奴隷だよね。私もリストラの経験があり、再就職
たいへんだったから、彼らの気持ちも少しは
わかります。
 ワーキングプアという特集がNHKでも放送されました。

 一方、スーパーへ行くと、「フェアトレード
バナナ」というのが、少し割高だけど、売られています。陰陽のマークのように、価値観がせめぎあいをしてるんでしょうね。

 クィーンは私もたまに聞きます。中学のときはKISS派でしたが、中年になると疲れるんですね。
 その点、クィーンは硬軟あり、つかれません。
カーペンターズ見たいに、長く聞かれるんでしょうね。

遠くアフリカで、娼婦をしていた日本人女性が
沢山いたのですね・・・。
なんか・・・。つらい話です。
 私は今障害者の方たちと「自由と平等」を求めた運動に参加しようとしています。
 これからの高齢化社会のなかで、歳とともに
不自由になる体を抱えた多くの人たちは、
障害者の人たちが、何十年もかけて勝ち取った
保障と、権利を享受できるのですが・・・。
 それを理解できている人は、本当に少ないです。

nagaさん、
どこの国にも大変な人はいるんですよね。競争も必要だとは思いますがバランスが大切ではないでしょうか。
自分も最近はクィーンをよく聴くようになりました。

KOPAさん、
からゆきさんの話は本当に悲しい思いです。
そして障害者の方々が今まで苦労してやっと手に入れた権利のことを忘れてはいけないと思います。

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