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2006年11月の7件の記事

2006年11月26日 (日)

アジア編80 インド最南端 2006/11/20-11/21

742km/23945km チェンナイ(マドラス)-カニャークマリ
010asia_5 今日はチェンナイからさらに列車に乗って南下してインド亜大陸最南端にやってきました。カニャークマリという岬です。ここはアラビア海、インド洋、それにベンガル湾が一つになる場所。ヒンドゥー教徒はここを聖地としバラーナスのガンガーで沐浴したようにここの海にも身を沈めるのです。
020p1470797 早朝宿に着いて屋上に上って見るとそこから目と鼻の距離にヴィヴェーカーナンダという宗教改革者の像と記念堂が見えました。これは結構な迫力です。こちら岸からはボートに乗ってその記念堂にたくさんの人が訪れています。19世紀末にヒンドゥー教の宗教改革を行った人だそうですがみんなそのお礼参りということでしょうか。

030p1470810 040p1470814 050p1470831 060p1470833 さて町に出てみるとすごい数の巡礼者です。大型バスがあちこちの宿に泊まっていて通りにはそれぞれのグループ毎に統一した衣装でうれしそうに歩いています。ヒンドゥー教徒の方にとってはここに来ることは念願かなったりということかもしれません。

070p1470843 それから近くにある海のガート(沐浴場)に行きました。ここはバラーナスのような一種重苦しい雰囲気は全くなく半分海水浴の気分で波に打たれていました。観光客の数は他と比べて極端に少ないですがその中でインド人に混じって沐浴?している人もいました。

080p1470815 またここにあるヒンドゥー寺院クマリ・アンマン寺院は朝と夕方しか入れないので夕方に行ってみました。こちらは女神クマーリーを祀ってあるんだそうでそのせいかどうか男性は皆上半身裸にならないと入場できないのです。大勢のヒンドゥー教徒に紛れてちょっと緊張して中に入りました。中は洞窟のようになっていて3体の像が祀られていました。まず女神は神社でいう神殿の奥まったようなところに祀られていました。スカートをはいて手に数珠のような物を持っていて顔は何となく人間のようにも見えました。その姿を一目見ようともう押すな押すなの大混雑です。床に頭をつけて熱心にお祈りしている人がたくさんいました。その次には象の神様がいました。そして3番目が自分には親近感がありました。仏様のように指を曲げた人間のような像でした。初めて入ったヒンドゥー教寺院の内部、宗教によってその対象も祈り方も信者の格好も大きく違うんだなと実感しました。

090p1470880 100p1470881 本来ならばここはインドで唯一太陽が海から出て海に沈む場所なのですが雨期で雲が一面に広がっていて日の出も日の入りも拝めませんでした、残念!

2006年11月23日 (木)

アジア編79 インドを南下、マドラスへ 2006/11/16-11/19

1662km/23203km コルカタ-チェンナイ(マドラス)-カパーレシュワラ寺院-サン・トメ聖堂-チェンナイ
010asia_3 020img_1451 今日はコルカタを離れてチェンナイ(旧名マドラス)へ向かいます、27時間という長い列車の旅です。車窓からの景色はずっと田園(おそらく今年3回目の田植え)が広がっていましたがだんだんサトウキビ畑が目立ってきました。背の高いヤシやバナナもたくさん生えていて南に向かっていることを実感します。

030img_1453 ところでこのインドの列車、人口10億人の国を走るだけあって1編成が20両以上あるんです。その中には電車によって1等2等3等寝台、エアコン無寝台、1等座席、エアコン座席、エアコン無座席などがあります。いろんなクラスに乗ってみましたがその乗り心地やサービスには雲泥の差があります。そして乗っている人もはっきりと違っています。大げさにいうと1本の列車の中にインドの縮図があるかのようです。今まで周ってきたアジアの国の中でこれほど貧富の差が大きい国は他にない気がしました。

このインド南部のベンガル湾に面したタルミナードゥ州はモンスーンの影響でインドで唯一この時期が雨期だそうです。列車の中からのスコールこのようなものが見えました。
さて列車は予定通り17時半頃チェンナイ中央駅に着きました。ここも他の大都市のように駅前はすごい人で溢れかえっています。宿はたくさんあるのですがなぜか皆満室で10軒ほどあたってやっと見つかりました。

インドに来て一番大変なのはやはり食べ物です。カレーはおいしいんですがなにせ油っこいのでそればかり食べているとすぐに腹をこわしてしまいます。
040img_1461 そこで夕食は久しぶりに日本食を食べに地元では老舗というダリヤさんに行きました。日本を離れて半年ぶりに刺身定食を食べました。1000円といういい値段でしたがマグロ、イカ、鯛?は日本で食べるのと引けを取らないしインド米ではないご飯、みそ汁、漬け物、里芋と手羽先の煮物もイケてる味でした。しかもみそ汁には多分松茸が入っていたんです。もう涙もんでした。日本人のご主人はこのお米を自分で育てているそうです。多分相当なご苦労の末にここまでたどり着いたんではないかと思います。ごちそうさまでした。

050img_1469 さて翌明け方に激しい雨が降りました。朝起きて外に出ると通りは冠水してこの通りです。それでもみんな慣れたものでリクシャーも人も平然と通っていました。

100p1470745 110p1470753 120p1470765 まず向かったのがヒンドゥー教のカパーレシュワラ寺院です。ここは南部ドラヴィダ様式で造られていて入り口には40mの塔門があります。その壁面は極彩色で塗られた人間や動物の像でびっしりと埋め尽くされていて圧巻です。中に入ると熱心にお祈りする人の姿がたくさん見られました。

200p1470770 210p1470772 220p1470783 それからその近くにあるキリスト教のサン・トメ聖堂に行きました。ここは建物の外観が美しく白く尖った姿が印象的です。また内部も綺麗でイエス様の後ろにステンドガラスが輝いていました。

2006年11月16日 (木)

アジア編78 マザーテレサの想い 2006/11/11-11/15

475km/21541km ブッダ・ガヤー-コルカタ-パレシュナート寺院-マザー・ハウス-ナボ・ジボン-コルカタ
010asia_7 今日は移動日です。しかし朝5時に起きて駅に行ったのにブッダ・ガヤーから乗る予定の電車が7時間近く遅れて13時過ぎにやっと乗りました。多分インドでは普通にあることと割り切るしかなさそうです。それから9時間ほどでインド第二の都市コルカタにやってきました。人口が4800万人という巨大都市です。街中は人、人、人で溢れかえっています。

020p1470740_1 030p1470742  ジャイナ教の寺院はこんない豪華な造りでした。

040img_1412 またロンドンのビッグベンそっくりの時計台があったのはさす がにイギリスとの関係が深いからでしょうか。

ここコルカタには有名な施設があります。マザー・ハウスと呼ばれるそこは今は亡きノーベル平和賞受賞者マザー・テレサが生涯をかけて活動した拠点です。マザー・ハウスの他にもコルカタにはいろんな恵まれない人達のための施設がいくつかあります。貧しい為に病気の静養ができない人達、身よりのない子供達、ハンセン病の人達、身体障害者の人達、知的障害者の人達、アルコール・薬物中毒の人達、それにもうじきやって来る死を待つ人達、、、これらの施設ではマザー亡き後もシスターやボランティアの人達がその意志を継いで活動を行っています。今回短い時間ですが自分もボランティアに参加させていただいてその精神を少しでも身につけられたらと思います。

100img_1436 110img_1416 120img_1441 マザー・ハウスにボランティアの登録に行きそこで眠るマザーの石棺に会わせていただきました。周りで祈りを捧げる人達の中でたくさんの花に囲まれて石棺はありました。そこに手をついてじっとみんなの一心な祈りの声を聞いているとマザーが行ってきたことはすばらしいことだったんだなぁと実感します。
その隣にはマザーの業績を紹介するコーナーがあってマザーの残した言葉がたくさん展示されていました。自分が印象に残ったのは
”私は神の手に握られた鉛筆に過ぎない。考えることも表すことも全て神の導かれるままに動いているに過ぎない。だから私は神の手に握られた鉛筆に過ぎない。”
こんなような意味だったと思うのですが、世界中で700以上もの賞を受けたのにマザーは最後までこのように謙虚な姿勢を貫き通したのがすごいと素直に思いました。

さて1日目はまず朝6時からのキリスト教のミサに初めて参加させていただきました。いつもマザーが座っていたという場所にはマザーそっくりの像が置かれていて今でもそっと見守ってくれているのだそうです。ファーザー、たくさんのシスター達、それにボランティアの各国の人達が参加して厳かに行われました。途中で何回も賛美歌を歌ったりみんなで聖書の一部を朗読したりしました。これは仏教のお経を唱えるのと通じるものがあると思いました。

200img_1426 210img_1427 その後朝食を取ってから施設に向かいました。

220img_1428 自分が行ったのはアルコール・薬物中毒の人達と知的障害の子供達が一緒に生活するナボ・ジボンと言う施設です。初めてのことなので少し緊張しつつ中に入っていきました。ここにはいろんな障害の程度の子達がいます。元気に走り回っている子、座ったまま1点を見つめてじーっと動かない子、車椅子に乗って動き回るのが好きな子、小さな太鼓を頭からかけてそれをずーっと叩いている子、あちこち歩き回る子など様々です。こちらから話しかけると何かしらの反応を返してくれる子もいるし全く反応しない子もいます。でも手をつないだりそっと抱きしめたりするとほとんどの子はうれしそうな表情を見せてくれます。これにはこちらが癒してもらいました。
大人の部屋に行くとそこでもトランプしたり手芸をしたりずっと寝たままだったりいろんな人がいます。そこでは話し相手になったり軽いマッサージをしたりしました。
それから子供達の昼食の手伝いをして今日の仕事は終了となりました。
2日目もやることは変わりませんが昨日よりは少しどのように接したらいいかつかめて来たような気がしました。みんなの顔も覚えて挨拶するとより親密に感じます。たったの2日間でしたがこの施設での皆さんの奉仕の心、慈悲深さ、そして人間としての温かさを教えていただいた気がします。ありがとうございました。

コルカタの街中にも貧困の人がたくさんいます。道端に横たわってぐったりしている人や 正に骨と皮だけという人もいます。この施設の中の人達は恵まれている方なのかもしれません。清潔な寝床と3食の食事がありますから。あまりにもたくさんの入居希望の人がいてプライオリティーをつけないといけないのかもしれません。このことはこの問題の根深さを物語っているようです。自分はここでボランティアをしたからもういいやではなくてこれを機会にもっと身近に接していけたらと思います。
マザー・テレサのこういう活動の場は今では世界133カ国737拠点に上っているそうです。これはもうすばらしいとしかいいようがありません。脱帽です。

2006年11月10日 (金)

アジア編77 仏教最大の聖地へ 2006/11/7-11/10

1192km/21066km アーグラー-ニューデリー-ブッダ・ガヤーマハーボーディー寺院-印度山日本寺-ブッダ・ガヤー
010asia_2 アーグラーからニューデリー経由でガヤーに着きました。そこからさらに10キロほどの所にブッダ・ガヤーがあります。
インド周辺には仏教に関する4つの大きな聖地があります。ブッダが誕生した地(ネパールのルンビニー)、覚りを開いた地(ブッダ・ガヤー)、初めて説法をした地(サールナート)、そして入滅の地(クシーナガル)です。ここブッダ・ガヤーはブッダが長年の修行の後についに覚りを開いた場所です。
020p1470629 030p1470648 まずはその覚りを開いたとされる場所に行きました。そこには大きな塔が建っていて中には金色の仏像が祀られています。

040p1470643 その入り口には1200年ほど前に作られた花崗岩製のトーラナと呼ばれる門があってこれが日本の神社にある鳥居の起源なのだそうです。そういえばトーラナという言葉といいその形といいどこか似ています。

050p1470661 070p1470678
そして塔の裏手には大きな菩提樹の樹があります。この樹の下でゴータマ・スィッダールタは49日間の瞑想に入りついに覚りを得てブッダになったのだそうです。この周りではたくさんの巡礼者や修行僧達が熱心にお祈りを捧げていました。日本の仏教のお経ともまた違ったお経が辺りに響き渡り、手を合わせて目を瞑っていると心が安らかになっていく気がします。

100p1470684 110p1470685 120p1470698 さて夕方になって近くにある日本寺を訪ねました。ここには鐘突き堂があって1日3回あの日本のお寺の鐘と同じ音色で響きます。本堂ではちょうど夕方のお勤めの最中で座禅をしながら参加している方も多数いらっしゃいました。

この地には世界の各国から仏教徒が集まってきます。それぞれの国で仏像、袈裟やお経など違いは見られます。それでも同じ仏教という宗教によって結ばれているという強い想いがしました。日頃日本で生活していると冠婚葬祭やお正月お彼岸くらいしかお寺に行く機会はありませんがこれを機に仏教にもっと親しんでいければと思います。

205p1470712 210p1470708 200p1470716 夜になって再度マハーボーディー寺院に行くと中はライトアップされていて美しい光景が見られました。ぱっと見はまるでクリスマスのように見えました。

2006年11月 8日 (水)

アジア編76 満月のタージ・マハル 2006/11/4-11/6

196km/19874km ニューデリー-アーグラー-タージ・マハル-アーグラー城-アーグラー
005asia ニューデリーから電車に乗って200キロほどの所にあるアーグラーに行きました。ここにはかの有名なタージ・マハルがあります。自分はここに来るまでこれは寺院か宮殿だと思っていました。実はそうではなくてムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの王妃ムムターズ・マハルの巨大な墓なのだそうです。
今回はこの世界的にも稀にみる美しさと言われるタージ・マハルを眺めそこに隠された歴史の一幕を辿ってみたいと思います。

010p1470536 020p1470551 030p1470564 040p1470571 050p1470583 まずは日中のタージ・マハルを見に行きました。初めて見るそれは遠くからでもはっきりと目に映り白亜の巨大な建物の美しさに呆然としました。近づいて行くにつれその美しさはますます輝きただただ黙って眺めているのみでした。
建物の周りをぐるっと1周してみました。どの方向から見ても全く同じに見える不思議な建物です。そして中にはシャー・ジャハーンとムムターズ・マハルが眠っている棺桶が安置されています。シャー・ジャハーンがどれほどムムターズ・マハルを愛していたかを文字通り生涯をかけて表現したのがこのタージ・マハルなんです。
ところが皇帝シャー・ジャハーンがあまりにもこのタージ・マハルに注力したためにムガル帝国は傾いてしまったそうです。その為自分の実の息子によって皇帝の座から降ろされアーグラー城の1室に幽閉されてしまったのです。

100p1470628 110p1470606 囚われの塔と呼ばれるその城の1室からは遠くにタージ・マハルを眺めることができます。

120p1470604 シャー・ジャハーンは多分このように格子窓の間から見えるタージ・マハルを毎日眺めてはムムターズ・マハルのこと、そしてその対岸に作るつもりだった自分の墓である黒いタージのことを想い浮かべていたのでしょう。そして彼は7年後にこの部屋で最後を迎えたそうです。ここにひとつの壮大な愛の物語があるのでした。

300img_1300 310img_1315 11月5日、それは満月の夜です。満月とその前後計5日間のみ入場を許されるという夜のタージ・マハルにやってきました。夜20時から24時まで30分区切りで1回50人限定30分限りという条件で入場が許可されます。入場券は前日までに申し込まなければなりません。集合場所の東門からバスで別の場所に移動し、そこで身体チェックの上カメラ以外の所持品(バッグ、三脚、予備バッテリーなど全て)をロッカーに預けます。かなり厳重な警備です。それからまた東門まで戻ってきて入場待ちをします。そして自分の時間20時30分ちょうどに門が開きました。たくさんの警備兵に付き添われながら中に入って行きます。歩くのは速過ぎても遅過ぎてもいけません。しばらく歩いてさらに正門の扉が開くと、、、
遠くの方に何か見えます。満月とはいえ照明が何もないのでほぼ真っ暗です。しばらくして目が慣れてくると正面にうっすらと浮かび上がってきました。全く静かな空間に全く静かにしかし確かな存在感で佇んでいます。
写真を撮ろうと何回かシャッターを押したのですがあまりにも暗くて写りません。そこで星を撮る時と同じ要領でカメラを地面に置いて固定しシャッターを15、30、60秒と開放して撮ってみました。宿に帰るまで結果はわかりませんでしたが60秒のものがこのような写真になりました。

320p1470519 肉眼では見えない満月のタージ・マハルがそこにありました。まさに幻想的な美しさです。

2006年11月 4日 (土)

アジア編75 デリーあれこれ 2006/10/28-11/3

0km/19678km ニューデリー-ジャマー・マスジッド-ラール・キラー-ニューデリー
まず訂正したいことがあります。前回”アジア編73 遥かなるガンガー”で”死者が遺灰をガンガーに流されればその人は輪廻転生できるのだと言う。”と書いたのですが、”死者が遺灰をガンガーに流されればその人は輪廻から解脱できるのだと言う。”の間違いのようです。訂正させていただきます。ごめんなさい。

デリー市は全く性格の異なる2つの地域から成っています。昔からあるこてこての庶民の街オールドデリーと、後にイギリスによって造られた首都としてのニューデリーです。
オールドデリーにはものすごくたくさんの人がひしめいていて無限にある小さな店、小道を通るたくさんの人、人力車、自転車、牛、犬などでごったがえしています。街中ゴミだらけ、と言うよりもゴミの中に街があるといった感じです。一日いると目やのどは痛くなり全身ホコリまみれになってしまいます。それでも人々は大声を上げながら、時にはぶつかりながら精一杯暮らしています。街を歩いていると気軽に声をかけられます。道を尋ねるとみんな親切に教えてくれます。それが正しいとは限りませんが(汗)この街は人間の本質というか温かみがある街のように思えます。
一方ニューデリーは官庁街、大使館、富裕層の居住区などがありゆったりとしています。道路は広く高級車が走り、街はきれいで歩いている人もみな小奇麗な格好をしています。たまたま用があってある家に行ったらそこが留守だったので隣の人に尋ねたところとても冷たい返事でした。自分がTシャツにショートパンツだったせいかもしれません。
両方を歩いてみて感じたのですが生活のスタイルとしてはニューデリーの方を好む人が多いと思うのです。それでもオールドデリーの人達も黙々と日々の生活を送っているのです。こんなに目と鼻の距離で。
いったいなにがそれを可能にしているのでしょうか。もしヒンドゥー教の力が大きいのだとしたら自分はそのヒンドゥー教がどういうものなのかもっと本質に近づいてみたい気がします。

010p1470448 020p1470454 030p1470457 040p1470449 さてデリーでまず訪れたのがジャマー・マスジッドというインド最大のイスラム教のモスクです。金曜日だったのでたくさんの人が集団礼拝に訪れていました。中はとても広く25000人が一度に礼拝できるのだそうです。イスラムらしい形の塔や人々の祈りの姿など初めて拝見させていただきました。

050p1470504 060p1470501 070p1470482 080p1470483 そしてラール・キラーという旧帝国時代の砦に行きました。ここでは庶民が直接皇帝に物申すことができる直訴の場所だったそうです。その場所に立つとなぜか日本の江戸時代の南町奉行所の遠山の金さんを思い出しました。城内には美しい建物が並び皇帝時代を彷彿とさせます。

090p1470511 夕方になってジャイナ教の寺の近くを通るとその独特な形の塔の合間から夕陽が沈もうとしていました。美しい夕陽です。どこかで見たことがある景色だと思って後で写真を見てみると桂林の山々に似ていたのでした。

2006年11月 3日 (金)

アジア編74 インドの首都へ 2006/10/26-27

788km/19678km バラーナス-ニューデリー
インドで初めての電車に乗ります。ところが希望していたエアコン付き寝台が祭りの帰省客が多い影響で取れなくて普通寝台になってしまいました。どんな電車か心配しつつ駅に来ました。

020img_1186 寝台は3段になっていて昼間は中段は折りたたまれていて3人は下段に座っています。夜になるとそれぞれの段で寝るのです。しかし自由席に座れなくてやって来た人達もいて車内はごったがえしていました。隣の席のインド人親子がいろいろ親切に教えてくれたので助かりました。

030img_1189 食事はダール、野菜カレー、卵カレー、ライス、チャパティーのセットでRs53。注文をとって席まで運んできてくれます。これがなかなかで宿で食べた昼食よりもずっとおいしかったです。夜はかなり寒くてほとんど眠れませんでした。結局ニューデリーに着いたのは予定より2時間遅れの9:15でした。
010asia_1 040img_1255 さて旅行客を騙すことで悪名高きニューデリーにやって来ました。気を引き締めて戦闘態勢で駅を出ました。ところが大きなカバンを持って駅の外に出て駅前のメインストリートを歩いているのに近寄って来る人はごくわずかなんです。まだ朝早い時間だからか、自分が眉間に皺を寄せて早歩きしているからなのか、この人は商売にならないと思ったからなのか。よかったのですがちょっと拍子抜けしてしまいました。
050img_1211 ニューデリーの経済的旅行者用の宿が集まっている地区はメイン・バザール(パハール・ガンジ)の周辺です。今まで行ったバンコクのカオサン通りやカトマンドゥのタメル地区と雰囲気はそっくりです。考えてみれば自分も今まで結構こう言う場所で数々のしつこい客引きと戦ってきたので知らないうちに技を身につけてそれで平気に感じるのかもしれません。ではこれからはりきってデリー探検!

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